今年は12日間という長めの休暇がとれた(とった)ので、
夫婦2人で思い切って遠くへ旅行することにしました。
行き先はイタリア+おまけのパリ。初めて行く国です。
今まで2人ではアジアの国々しか行ったことがなかったし、とにかく美味しいものを食べに行こう!
ということになりイタリアに決めました。
今思うと、今までこんなにも長い時間べったり2人で過ごしたのは初めてでした。
今回から数回に渡って、いつもの献立日記に代わり旅日記を載せます。

前回の旅日記
イタリア前編(フィレンツェ〜トスカーナ)
パリ編

 



(つづき)
 フィレンツェへ帰る途中、インプルネータという小さな町に寄ってみた。オリーブオイルなどの特産品があると聞いてやって来たが、知っているのはそれだけで、何も見つけることができず、ただ雨の中震えながら傘をさしてくるっとまわって帰った。こんな雨の中、イタリアの何も知らない町を2人で歩いているのが変な感じもするし、いつもの生活の一部のような気もするし。トスカーナへ来てから、気が楽になった。あんまり物事を細細考えるのはやめようと思った。頭もスッキリした。
 帰りのドライブ。私はぐねぐねの道で気分が悪くなり、車で寝てしまったが、道に迷い大変だった。フィレンツェに近づいているのは分かっているのになかなか辿り着かず。ダンナは、遂には高台まで車を走らせ、フィレンツェのドゥオモクーポラの先端を見つけ、そこを目指したらしい。そして、フィレンツェの町に入ったものの、一方通行や狭い路地、車道の真ん中を走る自転車や人の多さで、なかなか目的地のホテルに着くことができなかった。やっとこさホテルの前に車を停めた。私は荷物を持ってチェックイン。ダンナは車の返却へ。ホテルは昼間で掃除中だったが、親切に私たちの部屋を急いで用意してくれた。グラッツェ!今度はクーポラが見える部屋!!
 おなかが減ったので、外へ出る。雨も止んだ。ホテルの前のお菓子屋さんのカントゥチーニがあまりに美味しそうだったので、3種類(プレーン味、レモン味、チョコチップ入り)100グラムずつ買う。もちろん我慢できず、食べながら歩く。私はレモン味を、ダンナはチョコチップ入りを気に入った。パン屋でフォカッチャみたいなピザみたいなの(ダンナ:チーズとサラミ、私:ズッキーニやピーマンのグリル)を買って、ドゥオモ広場の角に座って食べた。本格的に連休が始まったようで、日本人も増えてきた。地べたに座って食べている私たちをじっと見て、通り過ぎて行く。時々ジプシーが手を出しにやって来た。 
 ひまなので、ミケランジェロ広場まで散歩がてら歩く。気軽に向かったものの、遠い。途中、私は建物の壁に小さいワニを見つけてびっくりしたが、だんなは「そんなわけない。」と全く相手にしてくれなかった。あれは、あれはまさしくワニだった!ワニの目をしていた!振り返ると、後ろを歩いていた男の人も立ち止まって、じっと見ていた。
 広場は少し高台にあり、上って行く。犬を散歩している人が多い。悪臭。糞の始末をしないから。それとは裏腹に、途中、振り返ると予想以上に美しいフィレンツェ町が見えた。これからは、広場に着くまで絶対振り返らない!と決めて歩く。ダンナにも言って聞かせた。
 広場に着いて、2人一緒に振り向くと、絶景!!生憎、今日はくもりだが、オレンジ色の町が少し霞んで見える。「うわぁー!!!」と声をあげて、しばらく見とれた。河を挟んでヴェッキオ橋、町並みの中にドゥオモとクーポラ。周りには、小さな丘の緑。たくさん歩いた甲斐があった。写真を撮って、ダンナはコイン式双眼鏡にお金を入れて覗いている。クーポラのてっぺんにいる人まで見えるらしい。双眼鏡をとりあいしながらずっと見ていたが、なかなか見えなくならないので、おかしいと思ったら、お金を入れなくても見ることができるよう。コインの入れ口はユーロではなくリラのままだった。やられた!!
 ミケランジェロ広場なので、いちおう「ダビデ像」のレプリカが立っている。本物と違い、青銅器のような色をしていて汚れている。ダンナにその前に立ってもらって、写真を撮った。もちろん同じポーズで。その後にきたアジア系の外国人も真似して写真を撮っていたが、私が見ていると恥ずかしそうにしていた。
 もと来た道を歩いて帰る。またあの臭い坂を降りる。「臭い、臭い。」と騒いでいるのは、私たちだけ。河沿いの道をずっと歩いているのだが、この河の名前を知らない。ダンナはすぐに本で調べた。「アルノ河」。
 スーパーへ寄る。レジは長蛇の列。ほとんど観光客。キッチン付きの宿に滞在しているのだろう。グループで楽しそうに買い物している。当初、私もキッチン付きに滞在したかった。次は絶対そうしてやろうと心に誓う。肉コーナーは充実していた。特に、ハム、サラミは色々あった。明日は電車で移動なので、車内で食べるサンドイッチを作ろうとパンとハムを買う。あとお土産用にレトルト食品やお菓子を買った。明日はメーデーなので、お店が閉まると困るので、水も買っておいた。ダンナがレジに並んでいる隙に、フランボワーズを取って来てかごに追加。これも明日、列車の中で食べよう。あれこれと買ってしまったので、また荷物を置きにホテルへ戻る。道中、ふらりと入った靴屋で掘り出し物を見つけ、さんざん悩んで2足買う。1足は母へのつもり。さらに、フィレンツェに着いた初日から目をつけていたグリルパンまで買ってしまった。一体どうやって持って帰るのか・・・・。どうにかなる。
 やっとホテルに戻り、ひと休みして夕食に出て行く。1階が立ち飲みで、地下で食事ができるところ。立ち飲みのおじさんを掻き分け掻き分け地下へ。地下はうす暗く、壁4面にワインの瓶がぎっしり並んでいた。ワインはお店の主にお任せし、前菜は1階のガラスケースのものをダンナが適当に選んだ。奥の席には、日本人男女がワイン片手にうっとり。ワインにも自分たちにも相当酔っているご様子。変。
ワイン(赤:キャンティクラシコ)、ブルスケッタ(キノコ、ツナ)、ナスのグリル、コロッケみたいなもの
ほうれん草とシーフードのソテー、ドライトマトのオイル漬け、アーティチョークのオイル漬け、魚、
ミートソースの幅広パスタ
 明日移動なので、今日はあまりワインを飲まないでおこうと言っていたのに、結局1本空けた。私が1階にオーダーをしに行くと、少し日本語が分かるおじさんが飲んでいて、店の人に通訳してくれた(にも関わらず、ものすごい量が出てきたのだが・・・・)。そのおじさんは知っているだけの日本語を私に披露。「目、耳、鼻、口、あたま、・・・・」。そして、「ナマムギナマゴメナマタマゴ、生麦生米生卵????」。どこで覚えたのか?
 全部食べられなかったドライトマトの前菜を、お店のコップを拝借して、明日電車で食べる用に持ち帰る。お会計はきっちり50ユーロだった。帰り際、酔ったおじいちゃんが、私にタルトの食べさしを見せて、もぐもぐしながら何か言い寄ってきた。食えというのか?美味しそうだったので、ほろ酔いの私も手を出しそうになったが、歯型とヨダレを見て「ノン、グラッツェ」。かわいいおじいちゃんだった。
 2人ともほろ酔いでよい気分で話をしながら歩いていたら、またもや道に迷ってしまった。ダンナはフィレンツェの地図が頭ん中に入っていると自信満々だっただけに、落ち込む。私も落ち込む。昼と夜とは、町の様子が違ってしまいよくわからない。30分ほど彷徨って、やっとホテルに到着した。石畳を歩き回ったせいで、足は棒になった。明日に備え、荷造りして11時頃寝た。



 昨夜はぐっすり寝た。朝食の後、チェックアウトの時間まで、増えた荷物の整理。2人がかりでスーツケースの上に乗っかって、何とか鍵を閉めたがはちきれそう。ダンナが昨日スーパーで買ったパンとハムで、今日のお昼ごはんのサンドイッチを作ってくれた。昨夜のレストランで残って持ち帰ったドライトマトも入れてもらう。
 電車の時間まで、時間があるのでホテルの屋上でクーポラを見ながら座っていた。これで見納め。ホテル屋上からは、客室が覗けてしまい、ダンナはトイレで白人男性がお尻を拭いているのを見たらしい。陽射しが強く暑いので、早目に駅に向かうことにした。今日はメーデーなので心配していたが、町はいつもと同じように動いている。
 サンタ・マリア・ノッヴェラ駅。とにかく人が多い。みんな大荷物なので、その倍の人がいるように感じる。スーツケースを椅子にして、座って日記を書きながら電車を待つ。変な人も多い。酔っ払って、大声で叫びながら歩き回るロッカー風の男。何かの抗議行動か、ガムテープで口を塞ぎ、自分の名前を書いた紙製のチョッキを着、両手を後ろに縛った学生風の数人が、駅の真ん中で正座をして輪になり、じっとしている。そこに野良犬が紛れ込む。マクドナルドの袋片手に、すんごい太った兄弟。イタリア女性がじっと私を見、私のところに恐る恐る寄って来た。モAre yon シズコ?モと聞く。違う。ダンナと交替でトイレに行った。有料で、なぜか中はブラックライトで青光りして、落ち着かなかった。
 電車の発車掲示板はイタリア語のみ。しかも時間通りにいかない。15番ホームと思って待っていたら、15分遅れの間違いだった。なかなか出発ホームが決まらず、ずっと掲示板を見ながら、場内放送に耳を傾けていた。ようやく電車がやって来る。半信半疑で乗り込むアメリカ人の老夫婦に「ベネチア行きですか?」と聞かれ、自身なさげに「イエス・・・」と答えると「ホントに???」と突っ込まれた。どうかベネチア行きでありますように!!と祈りながら乗り込む。
 指定席をとったもののチケットには席番号がない。適当に座るが、後から来たイタリア人のおじいさんに「そこはわしの席じゃ!」と言われ移動。空いている席を見つけ、やっと落ち着く。外国人サイズの大き目のシートでダンナは嬉しそう。ユーロスターには車内サービスがあって、飲み物と小さなお菓子の袋が配られた。ダンナは久々にコーラを飲んで嬉しそう。早速、朝作ったサンドイッチを食べた。私は車窓からイタリアの景色を見ながら、優雅に移動と楽しみにしていたが、心踊るような景色ではなかったのですぐ寝た。ダンナも寝た。途中、切符拝見に車掌さんがやって来た。私たちが日本人と知ると「ナカムラ、レッジーナ!!」と親指を立てて笑う。「ナカタ」じゃなくて「ナカムラ」かぁ。
 フィレンツェからヴェネツィアまでは、ユーロスターで3時間ほど。ひと眠りすると、あっという間に到着。サンタ・ルチア駅。フィレンツェの駅よりは小さいものの、これまた人だらけ。私が電車で寝てる間に、ダンナはホテルまでの行き方を調べておいてくれた。たのもしい。寝すぎてまだ頭がぼーっとしている私に荷物番をさせて、テキパキとヴァポレット(水上バス)のチケットを買う列に並ぶ。彼も慣れたもの。一緒に並ぶ外国人と何やら楽しそうに喋っている。昔、私に「海外旅行なんか、絶対行けへん!」と言っていたのだが。
 水上バスに乗ってホテルへ向かう。人が多く、ほぼ観光客のよう。町が人の重みで沈んでしまいそうだ。大きな運河を曲がり曲がり、バス停に寄りながら進む。運河を行くのは、庶民の足ヴァポレット・観光用の豪華なゴンドラ・加山雄三のクルーザーみたいでピカピカの水上タクシー・地元の人のボート(簡単なボートにモータをつけただけのもの)。もちろん移動は水上か徒歩になるので車も自転車もない。本や映画で観たヴェネツィアそのままの景色。でも、何か嘘っぽく映画のセットのように感じる。建物は潮風のせいか、かなり傷んでいる。
 ホテル近くと思われるバス停で降りる。水上バスがバス停に止まる時は、いつも河岸に激突する。この「ドーン」とぶつかるのを、私は密かに楽しみにしていた。予定では、降りたバス停の近くの運河沿いにピンク色の建物のホテルがあるはずなのだが、無い。狭い人通りのない路地を、スーツケースをごろごろ鳴らしながら探した。民家ばかりでホテルがある気配がしない。探し回っても疲れるだけなので、前から歩いてきた家族に尋ねてみた。みんなで地図を見入っていると、ホテルの入口は、ダンナのすぐ背後にあるドアだった。確かにホテルの名前が書いてある。ふつうの家のドアみたいで、分からない。恐る恐るドアをノックして入ると、小さな受付に眼鏡のこざっぱりしたイタリア人男性が座っていた。
 予約の紙を見せると、「今晩あなたたちが泊まるはずの部屋はオーバーブックでありません。すぐ近くの友人のホテルを格安で用意しますので、今晩はそっちに寝て下さい。その代わり、明日の部屋は運河の見える部屋にグレードアップします。」と一方的に早口に言われた。ヴェネツィアのホテルはどこも高い。少しでも安くなるのなら、しかも明日はいい部屋に泊まれるのならラッキーということで、言われたところへ案内してもらうことにした。
 そこは目と鼻の先だった。どうやら民家。そこの婦人に案内されたのは、どう見ても子供部屋。夫婦でホームステイ!別に怒る気もせず、笑うしかなかった。部屋の壁には娘の写真やアイドルのポスターなどが貼ってあり、本棚には参考書やビデオテープが並ぶ。そんな他人の部屋でひと休みしたものの、落ち着かないのですぐに出かける。婦人に夕飯を食べてから戻るので、10時頃になるかもと言うが全く通じず。バスルームはいつでも使ってよいか聞くがこれも通じず。シャワーをあびる格好をして、“OK?”と聞き、やっとこさ通じる。
 ホテルのまわりはほどんど人通りがなかったのに、少し行くと人だらけ。狭い路地の両側にびっしりとみやげ物屋。小腹が減ったので、お菓子屋さんへ入る。ダンナはカフェオレ味の焼いたメレンゲのお化け、私ピスタチオ入りの焼き菓子。サン・マルコ広場で食べることにする。途中、市場で乾物を買い、、人の流れについて行くとサン・マルコ広場へ到着。
 サン・マルコ広場。四角のすごく大きな広場。正面には豪奢な寺院が建ち、周りは全て建物に囲まれている。その1階部分は全て高級なカフェやらジェラート屋や宝石屋になっている。カフェは席の大半が広場にせり出ていて、客は太陽に照らされながら赤い顔でお酒やコーヒーを飲んでいる。誰もがご満悦という感じ。そこではピアノや弦楽器の生演奏があって、さらに客をうっとりさせる。「上を向いて歩こう」も演奏されていた。ここは、少し年配のお金持ちっぽい人が多い。インド人のマハラジャご一行様もいる。広場の片隅に座って、さっき買った甘いお菓子を食べた。広場は、人も多いが、ハトも多い。ハト用の豆も売っているようだ。
 広場をひとまわりして、写真を撮った。運河側に出ると、ゴンドラがたくさん留めてあった。風が強く潮も満ちてきているので、もう今日のゴンドラは終了のよう。有名な溜息の橋を見たが、たいしたことなかった。運河を挟んだ向こう岸は傾いきた太陽の光が逆光になって絵葉書のような景色だった。
 これだけ人が多いとどのレストランもすぐにいっぱいになりそうなので、早目に夕食向かった。本には看板の無い人気レストランと書いてあったが、看板なしでもすぐに見つかった。客は、ほとんどいなかった。少し興ざめ。
ワイン(白)、前菜(シーフード)の盛り合わせ、イカ墨のスパゲッティ(美味しい!)、
メイン(シーフード)の盛り合わせ、ティラミス、エスプレッソ
フィレンツェ、トスカーナでは肉料理が多かったので、魚介類が新鮮だった。私たちが食べたのは、イカやらタコやらエビやらが多かったが、隣りの席で派手なイタリア人女性が食べていた魚のグリルがすごく美味しそうだった。ダンナはイタリアに来てやっと、好きなティラミスを食べることができて満足。ウェイトレスのかわいい女の子が「“ティラミス”の発音は最後の“ス”を“スー”とのばすのよ!」と教えてくれた。ちなみに“ティラミス”はイタリア語で「私を天国に連れいく」という意味だそう。なんて、かわいい。
 散歩をしながら部屋へ帰る。あんなにたくさんいた観光客はどこへ行ったのか?門限を過ぎて帰った子供のように、そーっと家の鍵を開けて入り、静かに風呂に入った。ひそひそ話をして、無理やり2つに区切られた子供部屋のベッドで、大きな本棚を挟んで夫婦お互いの顔が見えないまま、兄弟のように寝た。




 朝起きると、一瞬どこにいるのか分からなかった。ダンナを見に行くと、電気スタンドをつけっぱなしで読んでいた本をほっぽりだして寝ていた。私は変な夢を見たのと、蚊に悩まされてよく眠れなかった。さっさと身支度して家のキッチンを覗いてみると、朝食の用意がされていた。猫が2匹、椅子の上で丸くなって気持ちよさそうに寝ている。2匹とも真っ黒でどっちが頭でどっちが尻尾かわからない。朝食
パン(トースト、ラスク、菓子パン)、ヨーグルト、ジュース、紅茶
トーストはパニーニ用のトースターで焼くので、ぺったんこで縞縞の焦げ目がつく。
 キッチンで2人で朝食をとっていたら、女の人がひとり入ってきた。きっとこの家のお嬢さんだと思って、“ボンジョルノ!”とあいさつをするが反応が悪い。すると、後からその人のダンナらしき男性が入ってきて、私たちと同じテーブルに座った。どうやら、この人たちもこの家の宿泊客のよう。キッチンのテーブルに大人が4人もくもくとパンを食べていた。お互い話しかけるのも面倒臭いので、無言。
 一応、オーナー婦人に形だけのお礼を言ってさっさと出る。向かいの本来泊まるはずのホテルに荷物だけ置きに行った。
 とりあえず、サン・マルコ広場に立つ鐘楼へ登ってみることにした。朝9時すぎだというのに、すでに行列。またフィレンツェのときのように、階段で上がっていくと思っていたら、エレベーターだった。その分、上に上がった時の感動は薄い。空気が白く霞んでいたので、ぼやっとした景色だった。建物の屋根は暗いオレンジ色、その他は空も運河も海も白っぽい灰色だった。サン・マルコ広場にいるたくさんのハトの黒い点がゆっくりうじゃうじゃ動いているのがおもしろかった。
 鐘楼から下りると、何か式典が行われている真っ只中に出てきた。軍隊もいる。すぐに警備員に追っ払われた。広場の所々で、色んなイベントが催されている。今日は祝日なのか?覗いてみるが全然おもしろくない。サン・マルコ寺院に入ろうとしたが、時間が決まっていて無理だったので諦めた。ドゥカーレ宮殿も入場料がバカ高いのでやめた。おあなかが減ったので、人が多いサン・マルコ広場を離れ、リアルト橋の近くのレストランで昼食をとることにした。運河沿いで船の上にいるようで嬉しい。天気もよい。ウエイターのおじさんが、東京で仕事をしていたらしく、私たちに話しかけてきた。日本語のメニューを持ってきてくれたので、注文は楽ちんだった。
ワイン(白)、にんじんがいっぱい入ったサラダ、イカ墨のリゾット、スパゲッティ−ボンゴレ(トマトソース)
 昨夜よく眠れなかったせいか、眠くて仕方がないので、一度ホテルに戻る。昨日の約束通り、グレードアップされた部屋が用意されていた。250ユーロもする部屋らしい。部屋は広く、天井にはかわいいシャンデリアがあった。小さなテラスからは建物の隙間から、ほんの気持ちだけ運河が見える。しばらくの間、私は昼寝、ダンナは読書。
 せっかくヴェネツィアまで来たのだから、「ここらでゴンドラに乗っておこう!」と出かける。ゴンドラに乗るのは、あちらこちらにいるゴンドリアンと交渉しなければならない。60ユーロまでと決めて探すが、2人で乗る相場は80ユーロらしく、なかなか相手にしてもらえない。80ユーロなんて、パリで泊まったホテルの1泊より高い!あまりに高いので、相乗りでもいいかと思ったが、ダンナはせっかくだから2人で乗ろうと言う。ひとりのおじさんが70ユーロで乗せてくれると言ったので手を打った。私たちの乗るゴンドラは、他のに比べると装飾が地味。他のゴンドラは金ぴかだったり、背もたれがハート型になっていたりした。
 ゴンドラからの景色は陸からの景色と全然違った。細い運河に入り、大運河に出、橋をくぐり、また細い運河にい入る。途中、マルコ・ポーロの住んでいた家を通った。このゴンドリアンのおじさんは、ハンサムだがイタリア人らしからぬシャイな男。“サンタ〜ル〜チ〜ア〜♪”なんて決して唄ってくれない。でも、他のゴンドラからの歌声が聞こえてくるのでよい。細い運河の所々で、ゴンドラ渋滞。おじさんたちはゴンドラ同士がぶつからないよう、器用にオールを操り、足で壁を蹴って進んでいく。ゴンドラ用の交通標識もある。ゴンドラツアーはあっという間に終わった。値切った分、少し早く降ろされたような気がしたが、2人とも船酔い気味だったのでちょうどよかった。いずれにせよ、一生の思い出となった。
 ゴンドラの余韻に浸りながら、広場でジェラートを食べた。横でもインド人マハラジャ家族がおじいちゃんもおばあちゃんも親も子もみんなジェラートを無言で食べていた。インドのアイスはどんなだろう???
 運河沿いを当てもなくゆっくり散歩する。色んな人を見ながら、そして話しながら、ずいぶん歩く。東京ではこんなにゆっくり歩くことは、まずない。途中から、知らない路地に入った。民家を覗きながら、洗濯物を見たり、犬を見たり、サッカーをする子供(上手!)を見たり、教会に入ってみたり。
 気が付くと、どこにいるのか分からなくなっていた。また、迷った。歩きすぎて疲れてきた。今日は運河で夕焼けを見ようと言っていたのに、すでに太陽が傾きかけている。私はダンナが道を分かっているものと思い込んでいて歩いていたので、怒った。ダンナは意地でも夕日を見ようと、私の手をひっぱって走り出した。2人で無言で走った。
 ふらふらで運河に辿り着いた。もう太陽は沈んで見えなかったが、対岸がうっすらオレンジ色に染められていた。私はそれで十分だったが、ダンナはくやしそうにしょんぼりしていた。怒った私は何だか申し訳ない気持ちでいっぱいになって反省した。お互い「ごめんな」と言い合った。「“走れメロス!”みたいやったなぁ」と。
 歩きに歩き、お腹が減った。気をとり直して、美味しいもんを食べようとレストランに向かった。疲れていたので、ホテル近くの店にした。私が先に店に入ったが、ダンナがなかなか入って来ない。おかしいと思い、入口の方を見ていると、あらびっくり!赤いバラの花を一輪片手に入ってきた。「これは今日のおわびの気持ち」と言って私にくれた。レストランの入口に、偶然、花売りのおじさんがいたらしい。あまりこんなことをされたことがない私は、本当に嬉しく思った。この日はいろいろ話をしながら食べた。「この旅をして本当に良かった」など。
ワイン(白、1リットル)、シーフードのフリット、イカ墨のスパゲッティ−、野菜のグリル
ふらふらと部屋に帰り、コテンと寝た。



 よく寝た。8時頃起きる。外は明るくない。雨。
 おかしなことに、部屋のすぐ前の広めの廊下がダイニングになっていて、宿泊客はそこで朝食をとっている。カチャカチャと食器の音がするので、鍵穴から外を覗くと、白人男性が朝食をとっているのが見えた。勢いよく飛び出すとびっくりしてコーヒーを溢してしまうかもしれない。注意。身支度をして、そーっと部屋から出てテーブルに着いた。ホテルの従業員(男)が「コーヒーですか?紅茶ですか?」と爽やかな顔で聞いてきたが、前のチャックが全開だった。白人の白髪まじりの熟年夫婦ばかりで、東洋人で若い私たちは浮いているらしく、じろじろ見られる。
ジャム入りのクロワッサン、固いパン、プレーンヨーグルト、グレープフルーツジュース、紅茶
 荷物をまとめ、10時にチェックアウトをする。精算時、約束の1日目の宿泊料金が割引されていなかったので、私が文句を言う。ホテルの受付は「そんなこと知らない」とあっさり言う。誰がそんなことを言ったのかと聞いてきたので、騙そうとしているに違いないと思い、腹が立って「YOU!」と強く指を指した。横でダンナは「この人ちゃうで」と。私が間違っていたらしい。もうひとりのメガネ男がいるらしかった。問題はあっさり解決。
 今日は特にどこへ行く予定もなかったが、出発まで時間があるので傘を差してサン・マルコ広場の方へ歩いて行く。寺院の中に入ってみようかとしたが、雨の中長蛇の列が出来上がっていたので諦めた。
サン・マルコ広場で、降ってきた鳩の糞が、ダンナの肩にい命中。大騒ぎ!!
 暇なので、リアルト橋のふもとのカフェに入った。カプチーノ。雨の中歩いている人を見る。今日はゴンドラも休業だろう。雨合羽を着た白人の老夫婦が雨宿りに入ってきた。雨で残念そうだ。橋をバックに写真を撮るが、カメラもカメラマンも頼りない。撮れているか心配。コーヒーが苦手なダンナは、飲んだ後やっぱり気分が悪いと言い出した。土産の並ぶ屋台をうろうろし、お互いの実家への土産にいヴェネツィアカーニバルの仮面の小さいのを選んだ。タバコ屋で帰りの水上バスのチケットを買う。あまりお腹は減っていなかったが、早目の昼食。
イカ墨のスパゲッティ−(ダンナ)、玉ねぎだけのスパゲッティ−(私)、ガス入りミネラル水
この旅行でダンナはガス入りミネラル水(炭酸水)の虜となった。レストランでは進んでウエイターに「ウォーター・コンガス!(ガス入り水!)」と言う。レストランでは私たち以外は全員アメリカ人の団体ツアー客。添乗員が英語でメニューの説明をしている。直径30センチはあるピザをひとり1枚とコーラ。アメリカン!
 荷物をとりにホテルへ戻る。昨夜ダンナがくれたバラの花をリュックに挿した。ダンナはその花がかわいいと言って写真を撮ってくれた。水上バスでローマ広場まで行き、そこから陸上バスに乗って空港へ向かう。昨日まで帰るのはいやだと言っていたが、いざ今日になると、ちゃんと帰る気分になった。空港行きのバスチケットを買うためにダンナが列に並んでいると、前の中国人男2人組がものすごい勢いで係員を質問攻めにしていた。係員はうんざり顔。おもしろいのでしばらく見ていた。ダンナはバスに乗る前に運転手にしっかり空港行きのバスか確認している。ほんとに頼もしくなった。
 バスに乗って少し行くと、すでにヴェネツィアの雰囲気は姿を消し、そのうち私はぐっすり眠ってしまった。

おしまい。



いかがでしたか?佐藤の台所〜特別編「旅日記」〜
来週からはいつも通りの佐藤の台所です。
3週にわたって旅日記を連載してくれた佐藤家への感想などはこちらから!!
ではまた再来週!
アリヴェルデルチ!


★ おまけ ★
〜 私たちが使ったイタリア語 〜
チャオ/チャオチャオ:やぁ!、バイバイ
ボンジョルノ!:おはよう!/こんにちは!  
ボナセーラ:こんばんは
ボナテッラ:おやすみなさい
ボーノ:おいしい!
グラッツェ!/プレーゴ:ありがとう!/どういたしまして
アリヴェルデルチ:さようなら
〜ペルファヴォーレ:〜おねがいします
ウノ:1つ!
ドゥエ!:2つ!/2人/2枚
ヴィーノ(ロッソ/ビアンコ):ワイン(赤/白)
セピア:イカ墨


佐藤家 Presents [ 佐藤の台所]
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