今年は12日間という長めの休暇がとれた(とった)ので、
夫婦2人で思い切って遠くへ旅行することにしました。
行き先はイタリア+おまけのパリ。初めて行く国です。
今まで2人ではアジアの国々しか行ったことがなかったし、とにかく美味しいものを食べに行こう!
ということになりイタリアに決めました。
今思うと、今までこんなにも長い時間べったり2人で過ごしたのは初めてでした。
今回から数回に渡って、いつもの献立日記に代わり旅日記を載せます。

前回の旅日記(パリ編はこちら)

 



(つづき)

 パリから乗った飛行機は小さく、短くてたよりなさげ。途中、窓からアルプスの山々が見えた。見渡す限り延々と雪山が続く。見たことのない景色に興奮し、小さな窓の取り合いになった(僕は通路側、妻は窓側だった)。昔の人は何を使って、どのくらいの時間をかけて旅をしたのかと考えた。フィレンツェへはたった2時間で到着。
 フィレンツェの空港。これまた陰気くさいオンボロ空港。飛行機を降りて、建物まで歩く。荷物はなかなか出て来ない。とりあえずホテルのあるフィレンツェ中心に向かわないといけないのだが、行き方がよく分からない。夜も遅いので、みんなタクシーに乗っているようだが、ちょっとでも節約したいのでバスを探す。乗客4人だけのバスに乗り、無事到着。夜のフィレンツェは想像していたものとは違い、暗くて錆びれた感じだった。妻は石畳を乱暴に走るバスで、気分が悪くなったらしく元気がない。夜見るイタリア人の顔はうさんくさい。「地球の歩き方」で報告されていた各種被害を思い出し異常に警戒してしまう。
 ホテルは雑居ビルの1フロアー。手動開閉式のエレベーターで上へ。イタリアに着いた実感は無く、口から出たのは「ボンソワー!(フランスのこんばんは)」。ホテルの人が気を悪くしたかと心配したが、気にしていない様子で一安心。以後気を付けようと心に誓う(実際は、その後もフランス挨拶を連発するが)。
 荷物を置いて、ひとまずほっとする。夕飯をまだ食べていない。妻はまだ調子が悪そうだったが、食べに出た。ホテルの目の前のファミリーレストランみたいなところに入る。イタリア語メニューだが、フランス語と違いローマ字読みで声に出すと馴染みのある料理名なので安心。
ピッツァマルゲリータ、カルボナーラ、ビール(僕)、炭酸水(妻)
とびきり美味しくもないが、ピザはちゃんと釜があって、職人(?)のおにいちゃんが生地をこねて焼いていた。さっさと食べて、明日に備える



 朝、早めに起きる。窓から外を見ると、昨夜の陰気な雰囲気とはずいぶん違う。山が見えて鳥のさえずりが聞こえる。パリでは朝、ビルの壁とハトの鳴き声しかなかった。今度のホテルは朝食がついていた。でもパサパサのパンなどと飲み物だけ。妻は朝からその美味しくないパンを2つもむしゃむしゃと食べ、朝あまり食べられない僕はコーンフレークに牛乳と砂糖をかけて食べた。
 いざフィレンツェの町へ!古い昔そのままであろう町並み、石畳、細い路地、教会、歴史的建造物・・・・妻は建物と建物の細い路地から見上げた空の景色が気に入ったようで、上ばかり見てはシャッターを押して歩いている。道は僕にまかせているようだ。
 ウフィッツィ美術館。あらかじめ日本で予約していたので、長蛇の列に並ばずに入館できた。中は人がいっぱいで、色んな国の人の色んなにおいがした。またもや下調べなしに鑑賞。知っていたのはボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」と「プリマベーラ(春)」だけで、ほとんどがとても古いキリスト教の宗教画ばかり。どの絵も、人物が異様に無表情で変な感じだったが、妻は興味を持ったようだ。日本人グループの添乗員の説明を盗み聞き。解説を聞いて観るとただの1枚の絵ではなく、複雑な歴史背景とメッセージが重なりあった歴史書のようだ。日本人添乗員が「これが有名なボッティチェリのプリマベーラです。」と説明したところ、聞いていたおじさんは「マンションによくある名前ですな。」と言っていた。そのうち盗み聞きがバレたのか、逃げられてしまったので、僕が勝手な解釈でふざけた説明をしてやると、妻は場違い極まりなく大笑いした。飽きたので、トイレを済ませて出ることに。
 中央市場へ向かう。道中、僕は珍しく(日本ではほとんど自分で自分のものを買うことがない)靴を買った。フィレンツェは皮製品が豊富で、特に靴とカバンはお買い得のようだ。中央市場の建物のまわりは、びっしり皮製品やお土産屋さんが並んでいて、横にいる妻の鼻息は相当荒い。うっかり目を離すと、勝手にお店に入ってしまって見失うので、いつもうしろを歩くように心がける。
 市場の中は、もう昼頃だったので、半分くらいが閉店していた。それでも、開いている店の店先は、サラミや生ハム、チーズ、乾物、オリーブオイル、お菓子など美味しそうなもので埋め尽くされている。ひととおり見てまわり、市場内の簡易食堂で昼食とすることに。
トリッパ(フィレンツェ名物牛もつ煮込み)、トマトソースのペンネ、
セロリとネギがいっぱい入ったサラダ(バルサミコ酢のドレッシング)、赤ワイン
まわりには、地元のおっさん連中が、昼間っからワインを空けてできあがっている。イタリアのおっさんたちは、よく喋る。
 その後、皮製品の屋台を覗いて巡る。あまり商売っ気はないらしく、のんびりしているが、妻の目だけがギラギラと妖しい光を放っている。予想通り、さんざん悩んで、カバンを買っていた。強い陽射しの下、屋台のウロウロでぐったりしてしまいカフェ(バール)でひと休み。妻はジェラート、僕はビールにした。無言。ひとまず荷物を置きにホテルへ戻るが、その道中もあっち見、こっち見でなかなかだった。これからひとまず、買い物は中止。その前に妻がまたジェラートを食べるというので、一緒に食べた。色んな味があって迷った。
 この旅行でいちばん楽しみにしていたフィレンツェのドゥオモ・クーポラ(丸い屋根のところ)へ!まずはドゥオモの中へ。歴史を感じずにはいられない荘厳な雰囲気の為か石作りの為か、なぜか寒いくらい涼しい。ものすごく天井が高く、ドーム状になったクーポラの屋根の内側には宗教画が描かれ、壁にはステンドグラスが。この宗教画、一見美しいが、よく見ると天国と恐ろしい地獄の様子が描かれていた。
 そして、クーポラへ!上るのは約500段の階段。人ひとり通るのがやっとの階段をらせん状に上がっていく。上れど上れど階段は続き、通路は狭くなってゆく。2人とも体力には自信があるので平気だが、お年よりには辛い。途中、ゼーゼーいいながら止まっていた。途中クーポラ内側に出て、上からドゥオモの中を上から見られるようになっている。そこの通路も狭く、手すりもたよりない。実は高所恐怖症の妻は、「怖い。怖い。」と連呼しながら、よちよち歩いていた。そのくせ、しっかり写真だけは撮っている。またしばらくひんやりした石の階段を上がっていくと、最後の急な階段。それを上りきるとてっぺんだ!その最後の階段はさらに息苦しいほど狭く、渋滞。交通整理しているでしゃばりの旅行客がいた。
 てっぺんへの出口、モグラのように地面に開いた四角い穴から顔を出す。めまいがする程の光と360°フィレンツェのオレンジ色の町並み。それを囲むようにトスカーナの緑の丘が。ここではこの景色がずっと昔から変らずあって、2人でここに来ることができたことがとてもしあわせだった。が、隣りには、この高さに耐えきれず膝がガクガクの妻が僕の袖をつまんで立っていた。嬉しいが怖いらしく、写真を撮るのにもひと苦労。風が強いので飛ばされそうで余計に怖いらしい。少しすると慣れてきたようだが、できるだけ下を見ないようにしていた。すっかり、気分はイタリアに切り替わり、どっぷり余韻に浸りながらクーポラを後にする(とか言いながら、トスカーナ地方をフランスのプロヴァンス地方と言い、妻に怒られた)。
 そのまま散歩がてらヴェッキオ橋へ。この橋は宝石屋が立ち並んでいることでも有名。橋の両側が宝石屋のショーウィンドウで金ピカ。でも、ほとんどの人がショーウインドウを見ながら歩いているだけで、お店の中は暇そうだ。まだ明るいが、もうすぐ夜の7時。今晩は夕食のレストランを決めているので、早目に向かう。
 人気のトスカーナ料理レストランで、行列ができるらしい。開店30分くらい前に着いたが、もうすでに2、3組並んでいる。丸見えのお店の中ではお店のひとたちが夕食中だ。外で並んでいるお客には見向きもしない。女性はおらず全員屈強そうなイタリア男だ。妻はまたフラフラと、近くの花屋を覗いている。そうこう待っているうちに、すごい行列になっていた。100人くらいいたかもしれない。
 開店。わけも分からず店内になだれ込む。座席は、もちろん相席。となりはイタリア人だ。とりあえず日本語のメニューを置いていってくれたものの、誰もオーダーをとりには来ない。何も言ってないのに仲本工事似のイタリア人ウエイターが勝手にどんどん料理を運んでくる。みんなそれを食べているので、よく分からず食べた。テーブルにキャンティワインの2リットルボトルがドーンと置かれていて、いくらでも勝手に飲んでいいようだ。店内はすごい活気につつまれた。でもシステムがわからない。ぼったくりリストランテでないことを願う。
トスカーナパン、ブルスケッタ、サラミ・生ハムの盛り合わせ、豆と野菜の煮込みスープ、
牛の骨つきロースト(1人一皿食べきれない量)、飲み放題のワイン(赤)
 豪快な料理だが、行列してまでもでも無い。残念。でも、食べながらに料理の文句を言うと妻が怒る。楽しみにしていた牛のローストも想像と違ってでっかいツナを食べているようだった。さっさと帰ろうとしていたら、隣りに座っていた陽気なイタリア人のおじさんがワインを注いで飲めと言う(言っていたと思う)。機嫌が悪かったのであまり相手にしたくなかったが、せっかくなので一緒に一杯やる。言葉は通じず、ほとんど意思の疎通ができてなかったが、気さくでいい人たちだった(と思う)。
 この日、妻は鼻がズルズルで調子が悪かった。フィレンツェは山が近いので花粉症のようだ。ホテルまでブラブラ。就寝。




 今日は車を借りてトスカーナへ行く。どうせまた2日後、このホテルに戻ってくるので、重いスーツケースを預かって欲しいとお願いする。快く引き受けてくれた。時間まで朝の市場に行ってお土産探し。食べ物ばかり色々買った。
オリーブオイル、バルサミコ酢(25年もの!)、チーズ、レモンのお酒、乾物、お菓子・・・・
日本人の女の人が働いているお店が数件あって、色々教えてもらった。何かと影響を受けやすい妻もここで働きたいと言う。
 車を借りに行く。この日のために国際免許をとった。もちろんハンドルも道も日本と逆なので、妻はえらく心配している。おいてあった車がBMWだったので、まさかとは思ったが、そんなわけない。やっぱり違った。はじめのうちはひやひやした。曲がり角の度にウインカーと間違えてワイパーを出してしまう(ウィンカーが逆についているので)。でも、笑っていられない。道は分からないし、標識はイタリア語のみだし。
 素適なドライブにならなかった。イタリア人はとばす。のろのろ走っていると、反対車線に出てまでして追い越す。目的地はトスカーナの古都シエナ。フィレンツェから1時間ほどで目的地に到着。緊張の為、3時間ほど走っていたような気がする。駐車場を探すため、車を停めた。
 ここでトラブル発生!ギアがバックに入らないことに気付く。力ずくでもビクともしない。とりあえず車を道に出して、近くに見えている車屋さんまで持っていけばなんとかなると考えるが、バックできないので出せない。妻に外から車を押させたがビクともしない。最後には傾斜を利用してなんとか脱出。ワーゲンの整備工場を発見し、進入。つなぎを着た整備士らしきおっさんがいたので、声をかけるとすごく嫌な顔をされた(少なくともそう見える顔をした)。おっさんはイタリア語しかわからないらしい。埒があかないので、妻と2人でおっさんのつなぎの袖をひっぱって力ずくで車まで連れて行き、ジェスチャーで訴えた。必死だった。もちろん問題は解決。ストッパーがあって、押さないとバックに入らないらしい。ほっとして、へなへなと力が抜けたが、情けない話。2人で顔を見合わせ、笑うしかなかった(ここから僕はちょっとやそっとのことじゃ焦らなくなった)。
 シエナ。ピンクや黄色の原色の建物が並ぶ。心身共に弱り、空腹だったので、とりあえずカフェに入ってパスタを注文した。ウエイトレスはたよりなく、落ち着きがない。出てきたのは、冷凍のチンのパスタだった。容器はそのままの紙皿で、裏に−18℃と書いてあった。怒る気も湧かない。むしろおもしろいので写真を撮った。
 シエナのドゥオモへ。フィレンツェのドゥオモよりもこじんまりしているが、迫力があった。真っ青な空にドゥオモの白とピンクが映えて美しい。それから世界一美しいと言われているカンポ広場へ。この広場はまるく少しボウル状になっている。周りは全て建物に囲まれていて独特の雰囲気がした。観光客が多く(日本人は1人もいなかった)、みな地べたに座って日光浴をしたり、思い思いに過ごしていた。僕たちは、またもやジェラート。
 車事件で時間をとってしまったので、見どころだけ押さえて、今日の宿へ向かうことに(ここで道に迷い駐車場になかなか辿り着けず)。あらかじめガソリンスタンドで道を聞こうと思ったが、これまた不在。通りがかりの人に尋ねるが、分からず困っているところへ別の英語がわかる通りがかりの人が、一生懸命教えてくれた。おかげで、今度は素敵なドライブに。
 トスカーナの緑の丘をくねくねと花畑やワイン・オリーブ畑を抜けていく。慎重に道を行き、宿近くでもう一度確認。農作業中のおっさんに聞く。全く言葉は通じ合わないが、心で通じた。砂煙をあげながらガタガタ道を行くと、小さな農家を発見。ここが今日の宿Poggio Ascitto(イタリア語で小さな丘という意味)。家族経営(たぶん)の農家兼民宿みたいなところ。
 オーナー夫妻が出迎えてくれた。赤ら顔で陽気なお父さん。まさにイタリアのマンマという感じのお母さん。まずは、お母さんが部屋へ案内してくれた。とてもかわいい感じの良い部屋で、窓からは緑の丘が見渡せる。まさにトスカーナの景色!ちょうど窓枠が額縁のように見える。お母さんは「自然のテレビよ!」と言った。それからていねいに部屋について説明してくれた。今までパリ・フィレンツェと精力的に動きすぎたが、ここでやっとのんびりできそうだ。
 ひと休みしてから、チェックインをしに母屋へ向かう。キッチンからはいいにおいが!お母さんが夕飯の支度をしていた。私たちに気付いて出てきてくれる。隣りの食材庫ようなところで、チェックインの手続きをしてくれる。とは言っても、今晩の夕食の献立説明。紙にひとつひとつ書いて、説明してくれる。ここではワイン、オリーブオイル、ジャム、ハチミツ、生ハム、サラミ等を作っていて、主にそれらが食卓に並ぶ。お母さんは英語が苦手だが、辞書片手に一生懸命話してくれた。「あなたたちは今まで来た日本人の中でいちばん若いわよ〜。」とか。間もなく、お父さんがやって来た。ワインの話をしていると「一杯やるか?」と。もちろん!大きなワイングラスになみなみと注いでくれた。さすがイタリア、ウェルカムワイン。その後、その場はイタリア語教室になり、簡単なあいさつや食べ物の名前を教えてもらった。僕たちはすっかりここを気に入った。
 夕飯まで部屋で過ごす。夕方になると、この辺りはとても寒い。お風呂でゆっくり温まりたいところだが、シャワーしかないのがいちばん辛い。2人とも風呂が恋しくて仕方がない。
 待ちに待った夕食。ゲストとオーナー家族がダイニングに集まって、みんなで食べる。お母さんは料理をしたので食事中はあまり動かない。娘さんが配膳を、お父さんがお酒を勧めてくれる。気取らないので居心地がよい。この日のゲストは僕たち夫婦と、フランス人のカップルだった。お母さんはフランス語ができるらしく、隣りのカップルと色々話していた。僕たちは「ヴォーノ!(おいしい!)」ばかり言っていた。
トスカーナパン(味がなくボソボソしたパン)、生ハム(自家製)、ドライトマトとオリーブのオイル漬け、
リゴッタチーズのチリジャム添え、ラザニア、ローストポークと鶏肉の生ハム巻きロースト、サラダ、
ほうれん草のソテー、甘口ワイン+カントゥチーニ(固いビスケット)
パンに自家製のオリーブオイルを垂らして食べた。このトスカーナパンは、味はないが、この辺りの料理は少々塩っ辛いのでちょうどいい。どれも美味しかった。それほど凝った料理はないが、素材そのものが良いのだるう。
 ワインでよい気分になり、ふらふら歩いて部屋まで帰る。寒いが空気は澄んでいて、星がたくさん見えた。ちょうど真上に北斗七星があったので妻に言ったが、「わからん。どれ???」と探していた。



 鳥のさえずりで目を覚ます。朝食まで時間があるので散歩。宿の周りの花畑、オリーブ畑、葡萄畑・・・・肥料のにおいが鼻をつく。そして朝食。
プロシュート(自家製の生ハム)、トスカーナパン、菓子パン(オレンジ風味ブリオッシュに粉砂糖がかかっていた)、
ゆでたまご、ジュース、手作りジャム、ハチミツ、コーヒー(妻)、紅茶(僕)
 部屋に戻って妻が寝てしまったので、テラスで読書をする。2時間くらい経って、妻がようやく起きてきた。暇なので、どこかへ行こうと言う。今日は丸1日のんびりしようと思ったが、そういえば昼食がない。車もあることだし、ドライブがてら出かけた。
 旅行会社に教えてもらったワイナリーへ向かう。日本ではほとんど知られていないワイナリーだそうだが、欧米で数々の賞をとっているらしい。せっかくキャンティに来たのだから、ワイナリーくらい行っておかないと。頼りない地図を見ながら走る。町を外れて砂利道をどんどん、どんどん高台に向かっていった。下には葡萄畑の小さな丘が広がっていて、途中、車を止めて見入った。空気がうまい!こんなところにあるわけないと諦めはじめたところで、看板を見つけた。
 やっと着いたと思ったら、お金持ちのお屋敷のような大きなゲートが閉まっている。せっかく来たのに引き返す訳にもいかず、勇気を出してインターホンを押してみる。妻は僕に頼りっきりだ。応答があったので、とりあえず「ボンジョルノ!」。そして「開けてくれ!」と頼むと、突然ゲートが開いた。走って車に戻り、中へ。並木道を通って行くと、奥に建物が2つあった。ひとつは濃いピンク色で、中にはこれから出荷するワインの箱がいっぱいあった。もうひとつにはワインの樽がたくさん眠っている。樽の方で、何人かの観光客がガイドの説明を聞いていた。誰も出て来ないので、また「ボンジョルノ!」と叫ぶ。中から男みたいなイタリア人女性が不機嫌そうな顔で出てきた(その後彼女は一度も笑わなかった)。試飲をしたいと言ったがイタリア語しか通じないようなので、ワインを飲むマネをして「OK?」と聞く。大丈夫のようだ。それにしても無愛想な人。
 中へ入るとメニューを渡されたが、素人の僕たちには全く分からない。とりあえず、手の届きそうな値のものを2つ選んで試飲した。はじめ、大きなワイングラスになみなみと注がれ、焦っていると、しばらくして捨てる用の容器を出してくれた。いちおう、格好だけつけて飲んでいるが、味なんて分からない。とりあえず来た記念に、そのワイナリーの名前のキャンティ・クラシコを1本だけ買った。妻は樽の蔵も見たいと言ったが、入れてくれそうもないので、さっと覗いて、写真を盗み撮りした。猫が2匹いて遊んでやったが、ここは猫も偉そうだ。他のグループの客が試飲してるテーブルの上に飛び乗って、驚かせていた。
 期待はずれのワイナリー訪問を終えて、お腹が減ったのでレストランのありそうな町を探す(もちろん、この時飲酒運転)。宿から車で10分くらいのGRAVE IN CANTIという町に入ってみる。小じんまりとした町で、真ん中に広場があって、レストランや土産物屋が並んでいる。観光客もいる。人がいちばんたくさんいるレストランに入ってみた。広場にせり出たテラス席で気持ちがよい。料理が運ばれてくるのを待ってると、痩せてよく日にやけたおばあさんがやって来て、タバコを吸う仕草をする。あげると、歯のない口でニッと笑い、よろよろと去って行った。
白ワイン(デキャンタ)、サラダ、生ハムメローネ(メロン)、ラザニア(僕)、ほうれん草とゴルゴンゾーラのペンネ(妻)、 
エスプレッソ(妻)
生ハムメローネは特に美味しかった。しかも大皿に大盛り。よく熟れた甘いメロンと生ハムの相性は最高。メロンが嫌いな妻もこれなら食べる。イタリアに入って、毎日ワインを飲んでいる。結構な量を飲んでも、不思議と酔っ払わない。
 天気が悪くなってきた。くるっと小さな町を散歩して、宿へ帰る。土産物屋でキャンティのマークになっているにわとり形の陶器でできたワイン栓を買う。
 宿に戻り昼寝。妻は午前中寝たせいか眠れず。じっとしていられず、キッチンを覗きに行きたいと言うのでしぶしぶついて行ったが、母屋へのドアは鍵が閉まっていた。夕食は8:30なので時間がたっぷりあった、本を読んだり、日記を書いたりして過ごす。
 夕食の時間になり、腹ぺこでダイニングに向かう。しかし、ダイニングは無人で真っ暗。鍵が閉まっている。不安になり、呆然と立ちすくむ。嫌な予感。とりあえず、呼び鈴を押してオーナーを呼んだ。出てきたお母さんは「どうしたの?」と不思議そう。「ごはんは?」と聞くと、今日は要らないと聞いているとのこと(食事はオプション)。どうやら、旅行会社からの連絡がうまく伝わっていなかったらしく、誤解が生じていたようだ。ここでのごはんはとても楽しみにしていたので、がっかり。お母さんが、とりあえず、近くの知り合いのレストランを紹介してくれた。ちょうど今日の昼に行ったGRAVEの町のレストランだったので、車でスムーズに行くことができた。
 夜の町は雨が降っているのもあって、昼間と全然違う。広場には誰もおらず、お店は全部閉まっていたが、唯一そのレストランだけ人がいた。ワイン蔵のような店内に入ると、太ったウエイターが「Poggio Asciutto(宿名)のゲスト?」と。お母さんが気を利かせて、電話をしておいてくれたのだ。その男はイタリア語と少しの英語を話し、料理やワインについて教えてくれたが、よく分からなかった。なぜか、レジには日本の招き猫が置いてあった。
ボトルワイン(キャンティ・クラシコ赤)、パン、ポルチーニ茸のピザ、
トスカーナのフレッシュパスタ“ピーチ(?)”(ミーとソース)、生ハム・サラミの盛り合わせ、
チーズ(ペコリーノ)盛り合わせ(ジャムやはちみつをつけて食べる)
パスタは讃岐うどんのようにコシがあって太めで、今まで食べたことのない食感(もっちり)のパスタで、とても美味しかった。ほんとうにめちゃくちゃ美味しかったのだが、上手く説明できない。サラミとチーズは山盛りで、全部食べられなかった。
 この日はワインをよく飲んだ。妻はかなりの千鳥足。当然飲酒運転だったが、無事帰宅。夜はけっこうな雨が降っていて、星を見ることはできなかった。




 今日は朝から雨。特に予定も立ててなかったので、別に何とも思わなかったが寒い。妻はフリースの水玉模様の派手な靴下のままサンダルという奇妙な格好をしている。雨のトスカーナも緑が映えて美しい。朝早くから、畑仕事を始めているおじさん3人組がいたので、「ボンジョルノ!」
 朝食。お母さんは昨夜のおわびと言って、サラミを追加してくれた。
サラミ、パン、ジャム、ハチミツ、ゆでたまご、あたたかいクロワッサンに粉砂糖をかけたもの、コーヒー、紅茶
もうすぐこの宿を去るので、最後に景色を目に焼き付ける。僕に懐いたシェパード犬のレオともお別れだ。昨夜のレストランで隣りにいた赤セーターの夫婦も、この宿の客だったようだ。お母さんはみんなにあのレストランを勧めているようだ。
 最後にお土産(自分たち用)にここの農産物を買う。味見をして、ワイン・トマトのジャム・唐辛子のジャム・ペペロンチーのソースを買った。お母さんは瓶に、その場で慌しく手作りのラベルを貼ってくれた。この時も、しきりに昨夜のことを辞書片手に謝っている。しまいには、昨日は体調が悪かったと辞書を引きながら言う。僕たちは全く気にしてないので、かえって恐縮してしまう。僕はこのイタリア人のお母さんが、自分の母と重なって仕方がない。体型といい、声といい、動作といい、このおっちょこちょい具合といい・・・・。
 最後にオーナー夫婦と記念写真を撮って、お母さんとだけ抱擁してチュッチュッをしてお別れした。妻はお父さんとも。泣き虫の妻は泣くと思ったが、笑顔だった。
 今から、雨のトスカーナをドライブしながら一路フィレンツェへ。


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