第58回 告知ごとと、モンゴルの顛末〜
こんにちは。ニホンコンです。
そうそう、告知ごとといったら、
荻窪にあるレストラン「ビストロサンジャック」での
ミニミニギャラリーの夏バージョンの設置に、昨日行ってきました。
今回はハワイで食材を撮る、と決めていたので、セレクションもすんなりと。
みなさん、よかったらご飯でも食べがてら、行ってみてくださいな。
レストランというほど堅苦しくなく、むしろ人ん家の台所に食べに来ているようなところ。
今のニホンコンの体を形成している、何%かは、ここで採った栄養が含まれています。
そう、ノビノビになっていたモンゴルの話、
そうこうしているうちに、また季節がめぐり、
そのときのモンゴル旅行から8周年になりました。
前回のモンゴルの話
を少し戻って要約し、15秒で語るとこうなります。
「初のモンゴルでヒェ〜な体験連続のニホンコン一行。
馬に乗り乗り、羊を食べ食べ、夜の宴会で酒をくらった・・
のはニホンコンでなく、隣席の下戸男」
まあ、酒といえば、もうみなさん顔を背けたくなるような
恥ずかしい記憶ってたくさんある筈なんですが、この1件は笑えなかった。
なぜなら、この8周年が「8周忌」になるかもしれなかったから。
結論からいうと、「モンゴルで急性アルコール中毒に襲われた日本人留学生Aくんの最期」を
看取っていたかもしれなかったのだ。
もしもの時にと、A君は一行の我々に、自分が心臓病を持っており、
発作が起きたらうんちゃら(忘れたが)という話をしていたのが。
こういうコトになるとは・・
最初は楽観視していて、ちょっと酔っぱらってこのまま吐いて終わり、
くらいに思っていたのですが、甘かった。
A君「うわーヤバイー、グルグルするー!」
我々「大丈夫?白米を食べて中和しながら、吐いちゃいなよ」(と、なだめる)。
A君「ホント、ヤバイかもー。手足がしびれてきたー」
我々:ちょっと不安になる
「手足がしびれてきた」という言葉で不安になってからは、
どんどん手足が冷たくなっていき、座っていた姿勢そのままで
体中固まって行くのを目の前で見せられ、さすがに顔面蒼白になってくる我々。
その頃ちょうど宴は最高潮を迎えており、
みんなで大地に沈む夕日を見に行こうタイムだった。
こちらとしてみれば「そんなことしてる場合じゃないだろーーーーー!」と思い、
必死に「要介護!」を訴えたのだが、モンゴルの人たち、頭の中まで大草原。
「没有問題〜」(ノープロブレム)を繰り返すだけで、
酒宴と夕日を見ようの余興は何事もなかったかのように進んでいく。
いや、見りゃ分かるだろうが、このヤバさを!!
我々も、このまま酒くさい宴会場(正確には宴会パオ)にいるのもよくないと、
硬直した彼の体をみんなで持ち上げて、外に出る。
外では、もう見たこともないような眩しく、美しい夕日と、
それに照らされた金色の大地が一面に広がっていたのだが、
ま、それどころでもなく。
で、肝心の彼はというと、硬直がどんどん進み、
口も固まり、喋るのもままならなくなっているのを、
そこにいた全員、見ていられなかった。
恐ろしくなった我々グループたちは、もうお手上げ状態で呆然。
無理もない。その現場を見たら一目瞭然なのだが、
「この人、死ぬかも」と察するほど、彼の状況は悲惨だった。
しかも、一行の中でたまたま私が一番上のクラスだったこともあり、
全員この一件をじわりじわりとニホンコンに託そうとするのである。
「人は極限になると、天使にも悪魔にもなれるもんだ」と、ぼんやり思ったり。
その時ニホンコンはその状態から逃げ遅れただけなのだが、
あっさりエンジェル役に抜擢されていた。
しかも、それを察したか知らんが、彼は硬直した口で、
もう言葉にもならない言葉で、力を振り絞って、私にこう残してくれた。
「サカシタさん!僕にもしも何かあったら、日本のお母さんにこう伝えて
『押し入れの段ボール箱は、見ないで捨てて欲しい!』と。
中にエロ本が入ってるから」そして、カクっと意識が途絶え、
パオにもたれるようにぐったりしてしまった。
「うそだろーーーーーーーーが!!」
もう、ニホンコン、これは体験したことのない辛さで、ワアワア泣き崩れる。
何が大泣きか、というと、理由は2つ。
「1:なんで私がこの人の最期を看取らなくてはいけないんだ」
「2:なんで私が『こんなメッセージ』を受けなくちゃいけないのか!」
一瞬にしてグルグルと我が身の情けない姿をよぎりました。
だって、アレよ、いきなり知らない女子が国際電話で、
「いやね、大変申し上げにくいのですが、お宅のお子さんはモンゴルで・・・」
から始まり、「いや、これもまた申し上げにくいのですが、押し入れの段ボールはあれですわ・・」
なんて話、親が真剣に聞いてくれるワケがないでしょうが!
しかも、日本の実家の電話番号なんて、そもそも知ってるのか?とか。
そのときもぼんやり思いました。
「人は極限状態になると、つまんないことを考えるもんだ」と。
とはいうものの、他人のなきがらを連れて北京に戻るのなんて、
まっぴらゴメン。ここからはせっせと救命活動をしなくてはいけないことが明確に。
彼の状態を中国人に説明できるのは、もはやニホンコンのみ。
ただ、一行の中で一番上のクラスといっても、留学3ヶ月目の語学力なんて知れてる。
しかも、ここはモンゴルとはいえ、中国人民共和国の中。
共産主義の人々と戦うには「一番動きそうな中国人」を見方につけるのが先決。
仕切りのよかった旅行会社の「リュウさん」が夕日にうっとりしている中をひっぱってきて、
この先どうするかを話し合う。
リュウさん、モンゴル衣装に身を包んだ宴会係の1人に、
モンゴル大学の医学生がいることを発見し、彼女を連れてきてくれた!(さすが)
彼女はイヤな顔ひとつせず、黙々と脈をはかってもらったり、
心臓の音を聞いたりしながら、我々のパオに彼を運び、
体を温め、大量のお水を飲ませるなど、学生さんといえど、そのテキパキぷりに感激。
そして、しばしお腹の中のものを戻させてから、一旦は体調を取り戻す彼。
ちゃんと目がさめて、「あー、ホント、あのときは死ぬかと思ったよ」と話せるまでに回復。
しばらくみんなで雑談しながら、また2度目の眠りにつく彼を見守っていた。
で、これで一件落着、と、医学生含むみんながドヤドヤと帰ろうとした時でした。
もう大丈夫と私もホッとした瞬間、またもや青っちろい顔をしたAくん、
「サカシタさん!また体がビリビリしてきました!
今度は手足のほうに向かっているのではなく、『心臓』に向かってしびれてきています!
と、力ない声でつぶやく。
チッ。つくづく生命力のない奴め。と、ニホンコンの心の鬼が言う。
もうみんな帰りかけて「じゃーおやすみなさい」の時に申し訳ないが、
こっちは人命がかかっている。1人vs13人くらいの戦いだが、
これは騒いだもん勝ちと「キュウキュウシャーーーーーーーーーー!!」
ぐったりして眠りに着こうとするみなさんを引き戻し、
奴は一旦は取り戻したけど、いやさ、さっきは大丈夫そうだったけどさ、
あれはあれ、今は今、本気で危ないんだってばさ!!!と。
数時間前に覚えた「しびれる」という単語、「麻(マー)」を連発し、
「現在、心臓、『マー』、さっきは、手足、『マー』。
現在とさっき、『マー』の場所、違う」もうヘタクソにもほどがある単語の羅列でなんとか状況を説明。
最前策として、「救急病院」の手配をお願いしたのだが。
そこはモンゴルの草原。
キュウキュウシャなんて、あるワケがない。
町の病院まで、片道3時間・・・無理だというのは、素人でも分かった。
ここで、困ったときのリュウさんに出てきてもらい、
なんとか30分のところに、村の医者があることを聞き出し、そこにみんなで行くことにした。
総勢8人くらいでワゴンに乗り込み、一路村病院へ。
そのときに小さな窓から見た満点の星は、
本当にきれいで、あああ、こんな状況でこんなきれいな星を見るとは・・・と、
ほとほとがっかりしたのを覚えている。
到着した村の病院は、真っ暗の大草原の中で不自然に浮かび上がる真っ暗なコンクリートの建物。
患者も医者も気配がナイ。なんか見たコトある・・と思ったら、
それはよく夏の怖い番組で出て来る、廃墟の病院と、全く同じ姿。
1人だけお医者さんが出てきて、ぽつりと蛍光灯をつけて、
小さいベッドがある部屋に通してくれた。
いやー、今でも脳裏に浮かぶくらいおぞましかった。その部屋は。
すべての虫という虫。菌という菌。病気という病気がウヨウヨしてそうなところ。
「不潔」という単語は、この病院のために存在すると思う。
その頃流行っていたエイズが頭をよぎったが、死ぬかエイズかの2択だったら、
この子は喜んでエイズを取るだろう、と、あっさり点滴をお願いしておいた。
心電図を取ってみたところ、峠は超えていたらしい。
そして、誰が使ったか分からない針を注射器にさし、10回くらい打ち間違えながら点滴を打ち、
(今思えば本当に医者だったのかも不明)朝起きればとりあえず大丈夫と言われ、
Aくんの人生のピンチはみんなの踏ん張りにより「生きる」という方向に転がれました。
この時点で朝の3時半。
かれこれ9時間くらい人の生死に関わっていたと思うと、どっと疲れが出てきた。
その夜は病院に泊まることになったのだが、一台しかベッドは用意されていなく、
待ち合い室のパイプ椅子に腰掛けて眠ることに。
モンゴルの夜は夏でもマイナスを記録し、
今度はニホンコンが死んでしまうかと思うくらい、寒かった。
この旅の一連の言動は、8年経った今でも、
その時の光の色や光景、セリフから涙まで、昨日のことのように覚えております。
今日はニホンコンが長いこと抱えていた、
こんなにも悲惨で辛かった一件を、みなさんにお話することで昇華すべく、
あれから8年たった今、敢えて書き留めてみました。
教訓:お酒の飲み過ぎには、ホント注意。
それだけかよ!って、ほんとうにそれだけのことだったんです。
6月15日 坂下日本/香港
馬夫の2人、左の彼は馬のような目がステキ。右の彼はこの顔して19歳!
Kaori Sakashita
Presents [ サカシタニホンコン ]
All rights reserved by Kaori Sakashita & SAKRA 2004