みなさんこんにちわ。どうも、ムトーです。お久しぶりです。
お久しぶりなのですが、今回が最終回です。
最後の原稿を書くにあたり、第1回目のフチドルを読み返してみました。
そうそう、東京から実家のある九州大分に戻ってきて、
つまらない、ふてくされた日々を過ごしていた僕は、
ただ漫然と過ごすより、ここで大分での日々を書くことによって、
大分を知り、好きになれたら、と思っていたのでした。
この連載のために購入したデジカメで写真を撮るようになって、
昔からなんとなく好きだった写真を撮るという行為が、
本当に好きにになりました。
SAKRA.JPには山口フォトと坂下ニホンコンという、
ホントに素敵な写真を撮る二人がいて、
僕はその二人の写真のクオリティーに少しでも近づけたらなあ、
と心の中でずっと思っていました。
まあ、4年経った今も到底及びませんが・・・。
でも、そういう才能の問題の部分はさておき、
僕にとってはこの「写真を撮る」という行為自体がとても大切なものになりました。
とても観念的な話です。
カメラを持って歩く、ということはシャッターチャンスを常に捜している状態です。
つまり、いろんなものを見て歩いている。
美しいものを撮りたい人はきっと、美しくないものも同時に見えていると思います。
だって、四角の枠で撮りたいものだけを切り取る作業ですからね。

カメラを持って歩いていなかった日々と、カメラを持ち歩く今とでは目が違います。
いろんなものを見ることができるんです。
素敵なものも、素敵じゃないものも。
沢山のことを認識、意識することで、たくさんの輪郭が見えてくる。
僕は混沌を無くしたい。いろんなことを認識したい。
今ではカメラを持っていない時間も、
カメラのファインダーを覗いているような感覚です。
僕のこの連載エッセイのタイトル「フチドル」は「縁取る」。日々を縁取る。
写真は、このフチドルというタイトルの権化のような気がしています、
僕にとっての。写真おススメですよ、みなさん。
この4年間、縁取る日々を過ごしてきて、
目に見えないモノが沢山見えるようになりました。
大分のことを好きになることが出来たか、というとよくわかりません。
ただ、大切な人や、大切な時間が出来ました。
だから、もう、ふてくされてはいません。
まだ相変わらず未熟なんだけど、今は、未熟な部分を知っている。
縁取ってきたからねえ。
あーあ、最後の最後まで文章まとまらんかったわ。
読んでくださったみなさん、SAKRA.JPの仲間たち、
これまでありがとうございました。
またお会いしましょう。
素敵な4年間でした。

おわります。
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