ムトープレゼンツ「フチドル」
第78回〜与えられた枠〜


みなさん、どうもおひさしぶりです。ムトーです。うーん。冬ですねえ、もう。
お鍋の美味しい季節ですねえ。

いじめが原因の自殺問題とかいやですねえ。
というか、自殺がイヤですねえ。

不謹慎かもしれないけど、こういうやりとりを考えてみました。

マサル「あー、ゴメン。今日も仕事なんだよー。明日は?逢える?」
ヨーコ「えー。今日ならダイジョブだけど、明日は仕事で遅くなるの・・・。」
マサル「そんなぁ・・・。」
ヨーコ「もう、1週間も逢ってないよ、私たち。もう、いやっ!」
マサル「おれも、もう嫌だ!もうこんなことなら死んだ方がマシだ!」
ヨーコ「私も死ぬわ!マサルさん!」
マサル「ヨーコ!」

・・・っていうね。これね、ツッコミどころがありますよね。
多分、自殺してしまう人はこの話しにツッコミを入れられないんだと思います。
心に余裕がないから。
マサルとヨーコも余裕がないわけです。
これね、マサルとヨーコは仕事が忙しくてお互いの時間が合わずに逢えないんですよ。
つまり、この問題を解決するには、どちらかが仕事を辞めればいいんですよね。
まあ、両方で仕事辞めてもいいけど。
「そんなこと言っても簡単に辞められるほど会社って甘くないんだよ」と
いうことをマサルとヨーコは言い返してくるでしょうけど、でも、死ぬんですよね。
人間辞めるんですよね、2人は。
こんな簡単に生きることは辞めるのに、会社は辞められないんですよ。
でも死んでしまったら会社辞めたも同然ですよ。
だったら会社辞めて生きていた方がいい。
死ぬなんてこれ以上ないくらいの悲しいことを考えられるのなら、
他のことなんて何も悲しくない。
人の目が気になるのならば、人の目を気にしなくて済む場所に移ればいい。
親や周りの人を悲しませたくないのはわかるけど、
死んでしまうのが一番悲しませるんだ。
実際、もう自殺を考えてしまう時点で、
こういうことを考えたりする余裕なんてなくなっているのだろうけれど、
大事なのは常々死ぬことほど周りの人が辛い思いをする事象はない、
って考えて心に余裕を持って生きることですよね。



「こういうのは絶対無理だ」とかって決めつけて生きるとね、辛い。
人はそれぞれ違った境遇で生まれる。
日本に生まれた、男に生まれた、肌の色が黒い、貧乏な家に生まれた、
勉強ができる、絵がうまい、歌が下手、足が長い、耳が聞こえない。とかね。

こういう、生まれながらに与えられたものを全て享受できたら幸せかもしれない。
境遇を自分を取り囲む「枠」だと考えた場合、
全てを享受する人はその枠の中で幸せに暮らすだろう。
日本に生まれてしまったけれど、日本という「枠」がどうしても自分に合わない、
と思ったらその枠の中にいる必要はないと思う。
ただただ「日本は駄目だ」とか言って何もせずに
ずっと日本に住み続けているよりは枠を出た方がいい。
まず、ひとつの枠に違和感を覚えたら、その枠をよく見てみる。
どういう作りのものなのか、大きさとか、固さとか。
ひょっとしたら、枠自体が低くて、ひょい、と飛び越えられるかも知れない。
枠はとても高い塀のようになっていて
とても上から脱出できそうになかったら、隅々をよく見てみる。
意外ともろい部分が見つかって、そこから枠の外に出られたりするかもしれない。
でも、よく見ていたら枠の一部分をちょっと変えるだけで
とても居心地のいい場所になるかもしれない。
また、どうしても変えられそうにないけどよく見たら
思ったほど悪い枠じゃなかったりするかもしれない。

はじめから、
「俺はこういう人間に生まれたからこういうのは無理だ」と決め付ける前に、
その、与えられた枠の中で精一杯、出来る限り聡明であることが大事だと思う。
枠の中で考えて、思いを巡らした結果、枠から出たり、
壊したり、やっぱり愛したりすればいいと思う。

いろいろ決め付けて生きるとね、
決め付けた事象の数だけ辛いことが増える可能性があるんだ。
簡単なことではないよ。簡単なことではないけれど、
学校だって死にたいくらいの辛い思いをする枠になっているのであれば、
脱出していいと思う。
人を自殺に追いやってしまうような人がいるような場所から
離れるのは逃げではないと思う。

ここにもしばしば書いているけれど、
観念にとらわれないということは大切です。
まあ、でも「生きることが大事」という観念は抱いていいかもなあ。

はー、寒いなあ。



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