ムトープレゼンツ「フチドル」
第71回〜贅沢な人〜


みみなさんこんにちわー。どうも、ムトーです。
ゴールデンウィークはどうでしたか?
僕はいろいろちょこちょこ出かけました。
なんかゴールデンウィークというだけで車が多くて、
5月4日に熊本に遊びに行ったときなんか、
いつもは2時間のドライブなのに5時間もかかってしまいました。わはは。
僕は買い物をしてコーヒーを飲んで、といういつものことをするだけなのに、
ゴールデンウィークなので人も多くて何かと疲れました。

5月5日は幼なじみの子どもの節句で昼間っからお酒を飲んでいました。
幼なじみの友人の奥さんは沖縄出身で、そのご両親も泡盛を大量に持って大分へ。
泡盛にノックアウトされそうになりました。
でも、美味しいですよね。泡盛。
同級生の子どものお節句に呼ばれるといよいよなんだか大人になったなあ、
って感じてしまいますね(今さら)。
沖縄にはこういうお節句という文化は無い、
という話をそこで聞きましたが、他の地域にはあるのかな?
節句の時期に親戚知人を集めて生まれた子どもを披露するという行事。
あります?

あー。もうすぐ梅雨ですよ、九州は。

同級生や歳の近い知人に子どもができたり、
彼らが子育てをしている話をきいたりすると、
なんだかただただ圧倒されてしまいます。すっごいなあ、って。
僕はそういうことをすぐに口に出すのですが、
そのたびによく、「子どもとともに親も成長していくから」っていうことを
親になった人から聞きます。
きっとこれは実感のこもった言葉だから本当なんだろうけど、
僕の精神的な部分ってまだまだ大人になりきれてないような気がするんです。
僕もまだ幼稚なのに、そんな奴に子育てとかできるわけないじゃん!って。
きっとこう感じる人はまだ親にならない方がいいんでしょうね。

最近、「普通に幸せに暮らす」というのが、
実は尋常じゃなく難しいことなんじゃないのか、と感じるようになりました。
「金持ちにならなくても普通に結婚して、普通に幸せな家庭を築ければいいかなあ」って
いう考え方を耳にすることがあります。
以前、僕はそういう生き方「つまんねぇ?」って思ってる節がありました。

僕は、以前もここに書きましたが、子どもの頃、
親が僕の欲しがるものをほとんど与えてくれませんでした。たぶん教育方針です。
中学生の頃なんか
「今度のテストで学年で10番に入ったら親にCDウォークマン買ってもらう」って
同級生が言ってるのを聞いて、とてもうらやましかったのを覚えています。
僕にはどんなに頑張っても、そういう可能性が無かったので。
だから、大学生や大人になって、ちょっと親から離れたときに、
資本主義社会を満喫したくなったわけです。
物欲が強い大人になってしまった、ということです。
大きい家とか、高級車とか、そういうものに対する欲は無いんです。
なんつうのかなあ、ちょっと綺麗に聞こえすぎるけど、
自分を表現したり、自分の心を高める道具が欲しい、と強く思うんです。
あ、みんなそうなのかな。

もうだいぶそういう欲も強くなくなって、落ち着いてきたけれど、
以前は物が溢れた僕の部屋を見るたびに親が「贅沢しすぎる!」と怒っていました。

正当化するつもりはないんです。
ただ、欲しい「物」を買う、っていうことがそんなに本当に贅沢なことだろうか、
と思ってしまうんです。
子どもの頃、何も買ってもらえずにスネる僕に、
親は「あなたは何を不自由してる?学校にも行けて、破れた服を着てるわけでもない、
ご飯だって大抵のものは食べてきてるはず」とよく言いました。
うちの親は自分の子どもが大人になって
「これは食べたことがない。あれも食べたことがない。」という思いをしないで済むように、
食事を大切にしてきたらしいのです。
まあ、そういえばそうなので、感謝はしています。
うちの親はきっと、必要最低限の豊かさで子育てをしたんだと思います。
そしてそれはきっと、安定した職に就いて、結婚して、
子どもを作って幸せな家庭を築けるような大人にするための
子育てだったんだと思います。

結果、というか、途中経過?を報告します。
兄?親の子育て成功
僕?失敗

兄は、親が望んでいて、本人も昔からなりたかった学校の先生になって、
結婚し、もうすぐ親になります。
僕は・・・、ほとんど親の願いをかなえられてません。

兄は親の理想通りの大人になってます。
以前は、兄の考え方や、生き方に反発したり、
興味を抱かなかったりしたけれど、今は違います。
尊敬と感謝の気持ちを兄に抱いています。
なぜなら、一見「普通に幸せ」な、兄の歩んでいる人生を僕は到底真似できない。
親が望み、兄が叶えている「普通の幸せ」は僕にとってなんて難しいことだろう、
と強く思うのです。
安定したところに就職して、結婚して、子どもを作る。
兄だけじゃなくて世の中のけっこう沢山の人がしていることかも知れない、
この「普通」っていうのは僕には気が遠くなるほど難しいことに感じる。
両親は周りの同世代の親たちが
どんどん「おじいちゃん」「おばあちゃん」になっていくのをきっと
うらやましく見ていたと思います。
僕は今の精神レベルではひょっとしたら親を
「おじいちゃん」「おばあちゃん」にしてあげられないかも知れない。
だから、どこかで親に「申し訳ないなあ」という気持ちを持っているんです。
だから、それを叶えてあげられる兄にとても感謝しているし、
すごいなあ、とも感じているんです。

「物」が欲しくて買う、なんて行為、大した贅沢じゃない。
親が自分の子どもに対して「普通に幸せな家庭を築いて欲しい」って願って、
叶えてもらうことの方がどんなに贅沢なことか。

なーんて、自分の正当化か。
あー、雨はいやだなあ。



SAKRA.JP - http://www.sakra.jp / Contact - mail@sakra.jp
All rights reserved by SAKRA.JP 2002-2006