ムトープレゼンツ「フチドル」
第67回〜気体〜
どうもー。こんにちわー。ムトーです。
いやあ、春だー。もう九州は春ですよー。わーい。わーい。春だー!
さて・・・・・。
春だからと言って特に浮かれるようなめでたいこともなく、
あ、あった、坂下ニホンコンのベイビー in her body 発覚!
うちの兄の奥さんのおなかの中にも5ヶ月のベイビーがいるんです。
きっと坂下ニホンコンの赤ちゃんと同じくらいに生まれるんだろうなあ。わー。
兄夫婦はなかなか赤ちゃんが生まれなくて、
奥さんとか結構プレッシャーを感じたりしていただろうからなあ。
田舎はとくにそうだけど、「赤ちゃんはまだ?」とかって
周りのヒトが聞きすぎなんだよなあ。無神経に。無責任に。
「生まれるまでは夫婦2人のことだよ!ほっといてくれ!」と
結婚もしてない僕が言いたくなる。
おなかの中に赤ちゃんがいる人はとにかく体を大切に。
赤ちゃんがおなかになかなか届かない人はあせらずに、
周りのこととか気にせずに生活してください。
ま、僕が言ってもどうしようもないことだけど・・・・。
「期待」はきっと時として「余計なお世話」になる。
と期待されたことのない僕ですが、思うことがあります。
僕は、誰からも大して期待されない代わりに、誰にもほとんど期待しません。
「マサル君には立派な大人になってもらいたい。」
期待しても、口にしちゃ駄目だと思う。
「ヨーコちゃんのことをこれだけ思っているんだから、
彼女にも僕のことを同じくらい愛して欲しい。」
これなんてもうホントダメ(でしょ・・・?)。
なんつうかねえ、きっとこういうのはこういうイヤらしい魂胆みたいなものしか
相手に伝わらない気がするんですよね。
作為とか魂胆とか、そういうのがまず一番最初に人に届くんだと思うんです。
って、何だ?この文章は・・・。
「期待」よりも「祈り」の方が届くよ。
見返りを求める気持ちを含まない純粋な願いの方が。
その人の笑顔を思い浮かべて「今日も一日、その笑顔でいるんだよ。
あなたが、ずっと笑顔でいれますように。」って祈る。
たぶん、それは届く。いや、きっと。
だって、考えてみて。たとえば自分がそんな風に誰かに祈ってもらえてたら・・・・。あー、こりゃすっごい幸せだわ。
妄想、もしくは気のせいかもしれませんが、僕はその祈りを感じるんです。
「あー、つらいなあ。」って思ってたら
「ふわっ」っとあったかい気持ちになったりするんです。
「あー、祈ってくれてるんだなあ。」って。気のせいか・・・。
ちょっと春になったからムトーも気がふれたんだな、
と思うでしょうが、本当にそうなんです。
あ、気がふれたことが「本当にそう」なんじゃないですよ。
「こういうふうに幸せになってください」というのを思ったり、
伝えたりすることは余計なお世話だし、あんまり伝わらない。
たとえば「体重2500グラム以上の健康な男の子を産んで
幸せな家庭を作ってください。」とかって、
どんだけお前の希望を入れてるんだ!っていう感じですよね。
他人が何を「幸せ」だと感じるのかはわからない。
「あなたのベイビーが2500グラム無くても、健康じゃなくても、
3000グラムあっても健康でも、どうであれ、
あなたがまず『幸せ』だと感じて過ごせますように。」と祈りたい。
僕は数ヵ月後、兄や義姉、
そして坂下ニホンコンが「幸せ」だと思って生活していることを祈っているんです。
それ以上でも以下でもない。
大切な人たちが今は残念ながら幸せそうでなかったら
「今日からは幸せでありますように。」と祈る。
春だからなあ。
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