ムトープレゼンツ「フチドル」
第61回〜箱庭感とネバーエンディングストーリー〜
みなさんこんにちわー。うーうー。寒いーーーー。なんじゃこりゃー。
冬っていう季節は寒いんですね。
あんまり寒がらない僕が今年は寒がってますよー。
靴下の上から貼るカイロとかと仲良くなったりしています。
ただね、なんつうんですか、あれ。ステテコ?モモヒキ?どっち?
あれだけはね、一生はきたくないんです。
いつだったか同い年の友人とかがはいてるの見てショックを受けました。
「あったかいよ〜」とか言ってさ。
僕の中ではあれをはいたら負け、と決めています。いくら寒くてもはきませんよー。
あ、そうだ。
このあいだ、さんきちなぞ図書館の司書、
さんきちさんが大分に遊びに来てくれました。
ただ来てくれたのは九州に寒波が襲ってきていたまっただ
中で、そりゃあもう、寒かった。
九州なのに吹雪なの。
まあ、でもけっこう楽しんで帰っていったみたいなのでよかったよかった。
また次回にでもその時のことを書きますね。
それにしてもさんきちさん、どうしてこの時期に大分に来たんだろう?
いっぱい写真撮ってたような・・・。まあ、いいか。
あ。そうだ。
さんきちさんが遊びに来た時に僕が車の中で話していたけど、中断してしまった話。
僕がずっと感じている「箱庭感」について。
あ、今、生きる希望を失いかけている人は読まないでください。
あ、いや、読んでください。大した話じゃないんで。
「箱庭感(はこにわかん)」って勝手に僕が命名しただけで、
こういう感じを表す言葉を知らないので、こう呼ぶことにしました。
どういう感じかというと、自分は、自分たち人間は、
誰かのペットなのではないか、という感じです。
あ、ちょっとなんか、ひいちゃいますね、こんなの。
いやいや、言いたいのはね、僕ら人間が、子孫を残していくのは誰のためなんだろう?
ってことです。みんな一日一日を一生懸命生きてるじゃないですか。
個人差もあるだろうけど、それぞれそれなりに。
ぼーっと暮らしていても、テレビ見て憂鬱になったりするじゃないですか。
憂鬱になるのに、次の日もご飯食べたりして、なぜかまた生きているじゃないですか。
いつか人を好きになって、結婚して、子どもを作ったりしますよね。
犬を飼ってみたり。ちょっといい時計をボーナスで買ったり。
センチメンタルジャーニーしたり。
自分へのご褒美をあげたりして生きていますねえ。
自分で傷を癒したりして生きていますねえ。
なんで、そんなに生きてるんですかねえ。会社に行くんですかねえ。
会社を作るんですかねえ。会社を大きくするんですかねえ。
新幹線を早くするんですかねえ。
オリンピックの100メートル走の記録が気になるんですかねえ。
って、こんなことをいつも僕考えているんです。
その度に辿り着いちゃうギモンの壁があるんです。
「で、誰のために?」
会社がいい例なんだ。僕が会社を作ったとします。
はい、作ります。
うーん、そうだなあ。あ、パン屋さんにしよう。
「パンのムトー」っていうお店を奥さんと二人で始めます。
なぜだかすごい人気。パートさんを雇います。
こりゃ結構もうかる!ってことで社員を雇ってしまおう。
で、チェーン店にしてしまおう。
あっという間に全国チェーンのパン屋に。
海外進出!海外でも「パンのムトー」は超人気!わーい。
もう全部って言っていいくらいの資本主義の国に「パンのムトー」があるよー。
僕はすっごいお金持ち。で、もう新しく出店するところがない。
さ、もうパン屋やめよっと!
・・・・って、ならないでしょ。
僕が死んで300年後もずっと「パンのムトー」は大人気の老舗パン屋チェーン。
もう、ずーっと、ずーっと、潰れるまで続くんだ。
誰のため?もう300年後、創業者の僕はいないよ。
この話、ものすっごい長い話になることに気づいたんで、
いきなりまとめに入ります!(?!)。
人間がずーっと会社を受け継いでいったり、
どんどん新幹線のスピードを上げていったりするのを
誰か地球の外で見ている人がいるんじゃないかなあ。
「くすっ。」とかって笑いながら。
人間をドールハウスの中の人形のように見ている存在がいるんじゃないかなあ。
金魚鉢の中の水温を間違えてしまうように、地球の温度をいじり間違えたり、
強い風を起してみたり、たまに強く揺らしてみたり
している人がいるんじゃないかなあ、って思うんです。
その人にとっては僕らの一日とか生死とかとても小さいんだ。
ちょっと地球っていうガラスケースに土と水とニンゲンっていうモノを
入れてみたら、これが結構おもしろい巣を作ってるじゃないか、
くらいの感覚で見ていたりするんじゃないだろうか。
こんなことをずっと、昔からよく考えています。
地球が誰かの箱庭みたいなね。
じゃあ、なんのために生きていくんだろう。
その箱庭の持ち主のため?
会社だって、子孫を残していくことだって、
始めちゃったから、始まっちゃったから続けざるを得ない、
っていうことなんだろうか。
よくわかんない。よくわかんないけど、
とりあえず、箱庭じゃない、ということを証明したい。
僕が年老いて死ぬ時に「僕はこのために生きてきたんだよ」と、
孫か、ひ孫に伝えられる「生きる理由」を探したい。
もう実はなんとなくわかっていたりするんだけどね。
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