ムトープレゼンツ「フチドル」
第46回〜どこでもドア〜



みなさんこんにちわー。お元気ですか。ムトーです。地震いやですねえ。ほんと。
おお、もう4月になるじゃん。
そういえば、僕がこのフチドルをはじめてもう2年以上経ってるよ!すっげー。
はやいなあ。いろいろあったなあ。
個人的には悲しいことの方が多かった気がするけれど、
それでも、ちょこちょこ休みながら2週に1回のこの文章を書くことで
自分を確認する作業ができたのは大きかったなあ。
読み返すと、僕の文章にはそのときの僕が出ていることに気づきました。
違うと思っていたけれど、これは紛れもなく自己表現の場なんですねえ。

この2年間で大きい波が2つやってきて、
その波をサーフボードで颯爽と乗りこなすような器用なことはできず、
2回とも飲み込まれて、それでもあがいて、なんと
か這い上がった感じかなあ。

あがく。這い上がる。
僕の大切な友人と昔話した、いや、手紙をやりとりしたんだ、
そうだ、手紙でやりとりしたことを僕は忘れません。
僕が波にさらわれて溺れているときでした。

僕は「達観したい」ということを手紙に書いたんです。
それはすべての答えを知りたいという意味です。
僕は痛いのが嫌で、もう、ちっとも、これっぽっちも痛い思いをしたくない、
と思っていたんです。それはほんとは今もそう。
全てのことが分かっていれば、傷つくこと無く最短距離で幸せが得られるなあ、って。

返ってきた友人からの手紙にはこんなことが書いてありました。
「私は答えなんて知らなくていい。
ずっと、みっともなくても、あがいて、わめいて、叫んでいたい。
答えにたどり着かずにそこで果てたら、そこまで。」
というようなこと。もっと、素敵な言葉で書いてあった。

僕とは種類の違う人間だとは思っていたけれど、
そのとき「ああ、これは決定的な違いだな。」と思いました。
たとえば、同じ主発地点をスタートして同じ目的地に向かうのに
僕は飛行機をつかう。けれど、友人は徒歩。こんな感じかな。
ああ、僕は飛行機でもなくてどこでもドアだなあ。
うん、そうそう。もう、怖いものとか労力とか何にもないんだ。
さっと、答えにたどりつく。うーん、理想的。



でもね、結局その道程を知らないんだ。
どこでもドア使っちゃうと。
はじめから何でもわかっているというのは、
実は何もしらないことなのかなあ、と、最近思いました。
友人は、ひょっとしたら一生答えにたどりつかないかもしれないけれど、
泥の道やら、暗い夜や、雨上がりや、
花のにおいをどんどん知っていくんです。

もちろん、どこでもドアなんてないけれど、神様があらわれて、
「答えを知るか」「知らないまま生きるか」と金の斧、
銀の斧みたいな感じで選択をせまられたらどっちにしますか。どうしよう、迷うー。



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