さんきち なぞ図書館

山本寛斎への手紙



休みの日のお昼頃にやっている

「うちくる!?」というテレビ番組がある。



去年の5月頃、なんとなく見ていたら、

なんだか胸がドキドキしてきたので、

最後の方だけ録画しておいた。



ゲストは、ファッションデザイナーの山本寛斎。



私は彼の事をそのときまで、名前しか知らなかったが、

エネルギーが体から溢れているような男の人だった。

そして、情に厚くさらに情に脆そうな、やさしい人柄を感じた。

おもしろい人だ。



この番組の最後には、「うちくる!?お礼」というコーナーがあり、

古い知り合いが登場し、ゲストに手紙を読む。



収録していたのは、デパートの屋上だろうか。

そこに登場したのは、高橋さんという、

目のキラキラしたかわいらしい短髪の女性だった。



やさしい顔。

ほっぺがいつもあたたかく染まっているような、

笑顔の似合う人。

この人もエネルギーが溢れていた。



手紙を読む前に、5時の鐘のような音がした。

夕方。

手紙を読み終わり、番組の終わる頃には、

空はうっすら暗くなりはじめ、

出演者にあたる撮影用の白い照明が目立った。



その女性は、声もうつくしかった。

明るくて笑っているかのような声だった。

その声で、一言一言、しっかり手紙を読み始めた。










今から30数年前、1960年代の終わり頃、

渋谷のデパートで、何か不思議なパワーに溢れる服を見つけました。



わたくしはそのパワーに吸い寄せられて、

黒い革のマキシコートを買い、

原宿の街を闊歩していました。



わたくしは、その服が寛斎さんのモノだとは知らないで着ていました。



その後、寛斎さんと知り合ったのですが、

ある時の一言が、わたくしに大冒険をさせてくれました。



「僕、ロンドンでファッションショーをやりたいから、その準備をしてきてよ。」



私はその一言で、

行ったこともないし、知り合いもコネもないロンドンへ、

寛斎さんの服をたった2点持って飛びました。



そのショーは大成功で、寛斎さんは、

次にパリコレに挑んだのでした。



そのとき、「私はもう、お手伝いできない」と言いました。

何も知らないのに、奇跡のように全てがうまくいくのは、

わたくしの人生でたった一度のことのように思えたからです。

「これがうまくいったら死んでもいい」と思いながらやったことでした。



「どうして?もし友達が手伝ってと言ったら、

僕だったら絶対手伝うよ。それが友達だよ。」

とあなたは言いました。



その後、パリコレの顛末をあなたが話すのを聞いて、

申し訳なかったなあと思っていました。



私も今では、「自分次第では奇跡は何度でも起きるし、

人生トライすることはいっぱいあるんだ。」と思っています。



人の100倍パワーを発揮する寛斎さんは、

人の100倍のたうち回っているのではないかしら。



人知れず100倍の努力をして、

100倍の孤独を味わっているのではないかしら。



でも、その元気なシャワーがキラキラと噴水になって放出される瞬間が、

寛斎さんにとっても、シャワーを浴びる人達にとっても、

かけがえのないモノなんですよね。



7月の武道館、がんばってくださいね。



やっこより









山本寛斎は、目をつむって、なんどもなんども頷きながら、

聞いていた。



手紙が終わったとき、彼はやっこさんと固い握手をして、



「今、この数十年かがばあああと戻ってきて、

またばあああっと飛んでいったよ。

今のこの時に、この番組に出られて、

お二人に会ってね、(中山秀征と飯島愛のこと)

こうやって本当の寛斎がちらっとでも出たっていうのは、

番組に感謝だね。

やっこさんとこうやって、

こんな素敵な手紙をいただくとは思ってもみなかったよ。」



と涙をこぼしながら興奮して言った。



なんだか、急にあの場面とあの手紙を思い出したので、

録画してたのを見直して、書いてみました。



せっかく生きているのなら、

こんな人生を生きたいものだ。

そう強く思いました。





サンキチ

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