長崎に行ってきました。




10月29日(金) 東京:はれ 長崎:くもり小雨


大きなカバンをかついで、定時に会社を飛び出し羽田空港へ。
空港はスーツを着た男の人だらけ。長崎行きの飛行機は、古い型のようで、
シートが明るい色でなんか懐かしい感じ。
30分遅れで離陸。私の席は客室乗務員と向かい合わせで、
どこを見ていいのか分からず困る。約1時間半の飛行。
途中、お腹が減って我慢ができず、買っておいたカツサンドを食べる。
その後、到着まで機体がひどく揺れる。気分は最悪。
空港には、長崎に住む夫の3番目の兄貴が車で迎えに来てくれた
(夫は、男4人兄弟の末っ子)。
それにしても、こじんまりとした空港。人はまばら。
私は飛行機でひどく気分が悪くなったまま、
車に乗ったのでさらに気分が悪くなって我慢できず、途中、
車を泊めてもらって吐いた。少しだけ、ましになる。
夫も気分が悪かったらしいが、兄と話をして、何とか持ちこたえたらしい。
兄は、怖いほどコンコン咳をしている。
心配。佐世保までの道のり、真っ暗で山も海もぜんぶ闇。
たまに眩しいと思えば、どでかいパチンコ屋の照明。
兄宅に到着しても、気分は優れず、ちょっとだけごはんを食べて、
しゃべって、寝た。夫は、「俺も気分悪い」と言っていたのに
ふつうに食べて缶ビールを3本空けていた。さあ、明日はどこへ行こうか。

10月30日(土) 天気予報外れ、快晴 最高気温25℃


歳半の甥っ子の奇声で目を覚ます。甥っ子に会うのは夏休みぶり。
どんどん表情豊かになっていき、可愛らしい。相手をするのがおもしろい。
朝食をいただいて、出発。天気がいいうちに、佐世保の観光名所のひとつの
九十九(くじゅうく)島巡りへ行く。
甥っ子は乗り物大好きで、車に乗ると興奮し、
自分の目に映るすべての車を指差し、バスや消防車を見ると、
興奮して雄叫びをあげる。造船所や米海軍基地の横を通って行く。
佐世保は軍港の町。11時発の遊覧船に乗る。九十九島をいえども、
九十九の島があるわけではなく、実際は200いくつかあるらしい。
九十九とはたくさんということで名づけられたらしい。色々な形の島がある、
ライオンや、狛犬や、潜水艦や、おっぱい島というのもあった。
見せ場は、島に囲まれた狭い入り江でのUターン。
船体が大きく傾く。船というのは意外と機動力があるもの。
風が強いが、陽射しがあるので暑いくらい。姉と夫は半袖。
甥っ子ははじめての船らしく、なぜかとてもおとなしかった。
空は青く、海は青というか緑色だった。内海なので、ほとんど波はなく、湖のよう。
夫は景色より、養殖所を見ては「あれ、牡蠣かなあ」と
牡蠣を食らうことばっかり考えているようだ。もちろん私もそう。
船を降りて、牡蠣が食べれる店はあったが、生牡蠣は11月(明後日)からと
書いてあった。お昼ごはんは佐世保のハンバーガーと決めているので、
食べられなくなると困るので、やめておく。嘘かほんとか知らないが、
佐世保は日本のハンバーガー発祥の地。
他に佐世保には日本一の長さの商店街アーケードがある。
米海軍兵をところどころで見かける。おすすめのハンバーガーショップ「ヒカリ」
は小さいところだが、店の前は九州の色んなところからやってきた車でいっぱい。
40分待ちという。ここまできて食べないわけにもいかないので、待つ。
ちょうど、近くに海上自衛隊資料館(無料)を見つけたので、待ってる間、入る。
夫、ひとり嬉しくて仕方がない。
夫は、戦時中の帝国海軍や自衛隊が主役の小説(近々に映画化されるらしい)には
まり、その小説とからむ展示物をあれこれ説明してくれるが、
他の者はさっぱり興味なし。そんな夫の顔を見ている方がよっぽどおもしろい。
そんなゆっくり見ているひまもないので、夫を急かして、
最後に家族ごとに海上自衛隊の制服を着て、記念写真を撮った。
夫は太い黒ぶちメガネでニヤニヤしているので、横山やすしのようだった。
そうこうしてるうちに、ハンバーガーはとっくに出来上がっていて、
パンがフニャフニャになっていた。早く食べたいので、
その辺のベンチに座って、みんなで大口を開けて食べた。
具はハンバーグ、ベーコン、レタス、チーズ、玉子焼きなどで、
ピクルスは入ってなくて、日本のハンバーガーという感じがし、
とてもおいしかった。でかくて、これでじゅうぶん昼食になった。
午後からは、焼き物を見に佐賀の有田へ行った。車で30分くらい。
道中、ハンバーガーを食べて満腹で運転手以外の者は寝てしまった。
あまり気に入るものはなかったが、私ひとり根気よく意地になって探し、
どんぶりと中皿を2つずつ買って、気が済む。
兄と夫は、いちばん高い値のものを探していたらしい。最高値は、
1700万円の直径1メートルはある有田焼の特大絵皿。
夜は、楽しみにしていた兄行きつけの庶民の料亭。
店の真ん中にどでかいいけすがあり、そこから揚げた魚介を食べさせてくれる。
しかも、酒類は酒屋の値段で安い。兄は相当顔が利くらしく、
店の奥さんは「佐藤さんにはいつもお世話になってます。これは、主人からです。」
とサービスでエビやさざえの豪華なお刺身盛をどんと持ってきてくれた。
刺身が大好物の夫は「弟です。兄がお世話になってます。」と
調子に乗ってあいさつした。エビ、さざえのほかに刺身は、カワハギ、
鯵、イカ(生きたまま)。特にカワハギは絶品で、肝を潰してポン酢に混ぜ、
それをつけていただく。イカは透き通っていて、いつまでも動いていた。
そして、嬉しかったのは、はじめて聞いた言葉だが、
後造りというメニューがあって、刺身のエビの殻はダシをとってみそ汁に、
刺身の鯵の頭と骨は唐揚げに、イカの足は天ぷらにしてくれた。
イイダコの煮付けもやわらかくておいしかった。焼酎もすすむ。
しかも東京では信じられないほど安い。甥っ子は焼酎用の氷を気に入り、
ほとんど食べてしまった。お腹こわすぞ。ここに連れてきてもらっただけでも、
「来てよかったなあ」とじゅうぶんに思えた。
兄ももうすぐ転勤らしいので、
もう二度と来ることはないかもしれないと思うとちょっと淋しくなる。

10月31日(日) 曇りのち晴れ
天気予報は雨。でも、気が付けば晴れていた。


「明日は10時出発な」と昨夜兄が言っていたので、
今日はどこに行くのかと思っていたら、雲仙に行くとのこと
(夫が行きたいと言ったらしい)。佐世保からだと結構遠い。
3時間弱ののドライブで、私は、またも車酔い。甥っ子はなぜかすっかり私に懐き、
車の中でも私によりかかり、微笑みかけ、外の車を指差して見ろといい、
寝てるとそおーっと肩をたたいてくる。可愛くて仕方がない。
でも、申し訳ないが、車酔いでしんどくて相手をしてあげる余裕はなかった。
このぐねぐねの山道を、また車で帰らないといけないと思うと、
恐ろしくてぞっとする。ひとり車以外の手段で帰る方法を、
本気で考えてみたりする。夫もかなり気分が悪かったらしい。
夫婦揃って情けない。昼すぎ、雲仙温泉到着。国立公園と書いてある。
とりあえず、昼食。完全に食欲はなく、むしろ温泉に浸かってたいと思ったが、
いざ目の前にすると食べた。雲仙の溶岩を鉄板代わりにした名物の「溶岩そば」を
みんなで分け、夫は「溶岩ハンバーグ」。
私はお雑煮の定食を食べた。料理を運ぶおばちゃんは、よく喋る。
いい人だけどいつもひと言多くて損している人だと思った。
夫もそう言っていた。昼食後、もう車には乗りたくないので、
私と夫だけ歩いて地獄巡りまで。箱根の大涌谷と同じよう。
こっちの方が規模が小さい。食後の硫黄臭は、きもちわるい。
散歩がてらひとまわりする。兄家族3人のビデオを撮る。
甥っ子はしっかり歩いている。せっかくなので、
雲仙普賢岳を見に行こうということに。車に乗るのが怖いが、
行かないわけにもいかない。気を遣わせて申し訳ないと思いつつ、
お願いしてゆっくり運転してもらった。どんどん山を登っていき、
しまいには空中をドライブしているかのような風景。目の高さには空、
ちょっと下を見ると飛行に乗ったとき見えるのと同じような陸地。
見ていると気持ちも晴れた。展望台に着く。左手に荘厳な雲仙普賢岳。勇ましい。
目下には島原の町が広がる。噴火のときには、
下の町を突っ切り海まで溶岩が流れていったらしい。その部分だけ、
何もなくはげている。夫は「火口を見たい」と言っていたが、それは無理らしく、
帰ることにした。ひきつづき、ゆっくり運転してもらったが、
やはり山道には耐えられず、途中、車を止めてもらう。外へ飛び出し、
また吐いてしまった。甥っ子は車の中で私と同時に吐いた。
姉はそれを手で受けたそう。おなかの中はスッカラカンになった。
甥っ子も吐いておなかが減ったのか、すぐ、パンをむしゃむしゃ食べる。
そしてドライブインでは、小龍包を食べて、ぐるぐる走り回る。
そして、おむつにうんちをする(夫と私、車外へ逃げる)。子供は忙しい。
それとは違って、私はずっとぐったりしていた。
車中、ずっと遠くに見える山と空の境を見ていた。
最後の山道は、みんなで喋ったり、歌を歌ったりして私の気を紛らわせてくれ、
嬉しかった。家族なのだ。夕飯は、姉がおいしいキムチ鍋をさっと作ってくれた。
やっとお腹が満たされ、明日から車に乗らなくていいので、私はひと安心。
家族や、兄弟の話をしながらみんなで食べた。

11月1日(月) 快晴 暑い


朝食をいただく。お味噌汁は具沢山で、うちのと違う味がして、
とてもおいしかった。実家以外で家に泊めてもらったのは、
ほんとうに久しぶりだったので、嬉しくて仕方がなかった。いつもなら、
朝は私がいちばんに起きて、台所に立って朝食の支度をしているのに、
ここでは違う。お客さんになるのは、慣れていないことに気づく。
夫も私も恐縮して「すんません」ばっかり言ってしまう。朝、佐世保を発つ。
別れ際、甥っ子は泣いてくれた。夫は、それをとても喜んだ。
正月まで覚えていてくれるかなあ。MRという1両列車に乗って、佐世保駅まで行く。
無人の小さい駅からは、美しい山が見えていて、空気がおいしい。
この電車はのろのろ運転かと思ったが、意外と暴走した。
カーテンがついているのがおもしろい。佐世保駅から今度は3両のJRに乗り換えて、
長崎市へ。夫はほとんど寝ていた。ハウステンボスを通り、海の横を走った。
ハウステンボス辺りの地名はその名も「ハウステンボス町」という。
1時間半で長崎市に着く。ここから今度は路面電車に乗って、長崎中華街へ。
予約したホテルは中華街の入り口近くにある。荷物を置いて、
とりあえず中華街で皿うどんを食べた。ここの皿うどんは極細麺でパリパリ。
夫は牡蠣入りのちょっといいのをたのんだ。
やっと牡蠣が食べれて、嬉しそう。給仕してくれた人は見た目男なのに、
声は女のヘンテコな感じの人で、最後までほんとにどっちなのか分からなかったが、
とても丁寧だった。それにしても、長崎の中華街はびっくりするほど小さい。
何往復でもできる。もう乗り物は懲り懲りなので、歩いて名所を回ることにした。
オランダ坂で写真だけを撮り、グラバー園へ。
古い木造の洋館がいくつかある。洋館といっても、なぜか屋根は瓦。変なの。
修学旅行の学生と韓国人団体観光客と日本人のおばさんがいっぱいでうるさい。
この辺りは異国の雰囲気のする建物も多い。
道のあちこに「〜発祥の地」の記念碑がある。鉄道発祥の地、熱気球発祥の地、
ボーリング発祥の地、西欧料理発祥の地、・・・・もちろんどれも舶来もの。
日本初のアスファルト道路やテニスコートもあった。
天気も長崎港を身おろす景色もよく、楽しい散歩をした。長崎は坂が多く、
山に囲まれ、穏やかな海もあって、どこでもちょっと坂を上れば、
見晴らしがよかった。途中、休憩で食べたアイスモナカはおいしかった。
夕方になり、街中の喫茶店で夫が本で見て食べたいと言っていた
ケーキを食べに行った。「シースケーキ」といって、
長崎でショートケーキといえばこれらしい。カステラのようなしっとりした
スポンジに、カスタードや生クリームが挟まっていて、
桜桃とパイナップルがのっている。見るからに懐かしい感じ。優しい味で、
また食べたいと思う。自分で作ってみようかとも思う。
夜は、兄に稲佐山の上からの夜景を見に行ったらいいと言われていたが、
電車とバスとロープウェイを乗り継がねばならず、
すっかり乗り物恐怖症になった私のせいで、中止。
代わりにならないが、名所のひとつの「眼鏡橋」を見に行き、
ちょっと散歩して、ふつうの居酒屋でごはんを食べながら、色々話をした。
夫は、「こうして外で飯を食って話していると、夫婦の気がせんなあ」と
言っていた。旅行をしていてテレビも新聞も見ずなので、
今日から紙幣が新しくなったのも知らず、見慣れない札をおつりにもらって、
間違ってると思ったという夫。ふたりとも疲れて風呂も入らず寝た。

11月2日(火) 晴れ 通り雨あり


朝食も食べず、路面電車に乗って平和記念公園へ向かう。
途中、朝食にパンを買って、平和記念像が見えるところで食べた。
やはりここは朝から観光客が多い。
平和記念像は筋骨隆々で、写真で見たよりずっとずっと大きい。左手は平和、
右手は原爆を指し、顔は仏の顔をしている。
同じポーズをして写真を撮るだろうと思っていたが、
そんなことはしてはいけないような気がした。像の写真を撮っていたおばあちゃん、
震える手で一所懸命写真を撮っていたが、
カメラの調子が悪いらしく、何やらごちゃごちゃカメラを触っている。
見ていると、フィルムの蓋を開けてしまっていた。カメラの中にあった、
思い出の写真が、消えてしまったのではと思うと、
私はとても悲しくなった。さぞかしがっかりするだろう。
平和記念公園周辺にある浦上天主堂、原爆落下の中心地へも行く。
崩れ落ちてしまった鐘楼、首のない像など原爆の爪跡を多く残してある。
ここのちょうど真上500メートルで原爆が爆発したのかと、空を見上げてみる。
原爆資料館にも逃げずに行った。小学校で習ったきり。
私は広島にも行ったことがない。入り口はルーブル美術館にとても似ていた。
学生がいっぱいで、みな熱心に見てはメモを取っている。
外国人も多くいた。この人たちは、どう感じているのだろうかと思う。
私も知らなかったことが、たくさんあった。悲惨すぎて、
かえって現実みがなく感じてしまう。

午後は、夫が楽しみにしていた坂本竜馬の足跡を巡る。
夫が行くがままにただ付いて行った。路面電車に乗り、
降りてからはどんどん坂を上がってく。民家の間を上がり、
若宮稲荷神社の赤い鳥居が並ぶ階段を抜け、また民家の間をどんどん上がる。
それらの家は、なぜか人の住んでる気配を感じ取れない。
こんな坂だらけだと、自転車もバイクも無理だろうし、
車も走る広い道もない(実際はあったが)。出かけるのもひと苦労だろうと思いつつ、
旅行者の私はいかにも長崎という風景が楽しくて、
坂道なんて全然苦ではなかった。目指すのは「亀山社中跡」。
夫曰く、坂本竜馬が日本で始めて作ったカンパニーで貿易商社の跡地。
その数十メートル手前に展望の休憩所があって、
坂本竜馬が日本で初めてブーツを履いたというので、
おおきなブーツ像が長崎湾に向けて置いてあった。写真をとる。
そのときカメラマンになった私は、道にあったうんちを踏んでしまった。
夫も踏みそうになった。踏んだかもしれないと騒ぐ。
亀山社中は残念ながら閉館中で中へは入れなかった。夫はそれでも感無量の様子。
ここでも写真を撮ってあげる。そこから、竜馬の像がある高台までが、
「龍馬通り」となっていて、所々に地元の誰か知らない人が書いたへたくそな
亀山社中所属だった人の絵や、長崎や竜馬にちなんだ川柳が貼ってあった。
私は竜馬の像は、上野公園の西郷さんみたいに、公園にあるのかと思っていたのに、
長崎湾を望むこんな高台にあったのだ。ここまで上ってくる人は、
なかなかいないのか、竜馬は私たちの貸切。もちろん長崎を一望の景色も貸切。
銅像の竜馬は大きいが、実際は身長172センチだったらしい。
夫は「竜馬に背勝った!」と喜んでいるが、昔の人にしては、
大きかったに違いない。少しくつろいで、お腹が減ったので、下りることに。
急に雲行きがあやしくなってくる。傘がないので、急いで降りる。
ずっと坂道を歩いてきたので、足は疲れていて、膝ががくがくになってきた。
夫に付いて行きとは違う細道に入ると、そこは墓地。夫が先に見に行って、
大丈夫というので付いて行ったのが最後。延々と墓場を歩くはめに。抜け出せない。
雨は降ってくるし、道は滑りやすいし、気味が悪いし、
どうしてこんなことになるのかと、嫌になる。せっかくいい気分だったのに。
やっとのことで、降りた。夫は「近道できてよかったやん」と。
どんな近道でも、お墓の間を歩くのは私はご免。
チャンポンを食べに行ったお店は閉まっていて、途方に暮れ、
わざわざ路面電車に乗って、違う店に行った。四海楼というこのお店は、
日本で初めてチャンポンを出したところ。豪華で立派な建物で、
ガラス張りで長崎港が一望できた。天皇陛下も来たらしく、写真があった。
私はまだ機嫌が治ってなかったので、しばらくは無言で食べた。とりあえず、
行きたいところは行って、まだ時間があるので、ぷらぷら歩いて、
カステラ屋に入り、味見をさせてもらいお茶までいただいたので、
お土産に1本買った。ホテルまでゆっくり歩いて、
まだ飛行機の時間まで随分あったので、
もういちど最後に「シースケーキ」を食べに行った。あとは、帰るだけ。



たった4日間の旅だったけど、
この旅行中はほんとに時間が経つのがゆっくりに感じた。
そして、何かにつけて選択肢は多いが毎日が風のように早く過ぎていく自分たちの
生活が、いいのか悪いのかを考えると、正直分からなくなった。
もう長崎はおなかいっぱいと思っていたのに、いざ東京に帰ってきたら、
またあの景色が見たくなる。山があって、海があって、
その間に家がたくさんあって、路面電車が走ってて・・・・。

それでは、また再来週!

たった4日間の旅だったけど、
この旅行中はほんとに時間が経つのがゆっくりに感じた。
そして、何かにつけて選択肢は多いが毎日が風のように早く過ぎていく自分たちの
生活が、いいのか悪いのかを考えると、正直分からなくなった。
もう長崎はおなかいっぱいと思っていたのに、いざ東京に帰ってきたら、
またあの景色が見たくなる。山があって、海があって、
その間に家がたくさんあって、路面電車が走ってて・・・・。



それではまた再来週!



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