1週間のごぶさた、今週のbouncyです。

さて、なんだかハードな日々が続いています。疲れ果ててか、体に変なものが
たくさん出てきた、、、、帯状に、おなかの横あたりから、背中にかけて、、、

かなりビビって、出張先で、皮膚科に行って、医者にこういわれた。
「今すぐ帰って、寝ろ」  ああ、、お医者さん。それだけは今出来ないよと
伝え、薬を貰って飲んでます。
なんでも帯状疱疹というヘルペスの一種で、疲れやストレスで出るんだそうだ。
ああ、、、そこまで働くなんてと、自分自身を褒めながら、帰ってきました。

今年は、あついのでこの病気、流行っているそうです。
流行に敏感な僕は(病気系だが)またしても、最先端を行っている訳です。

皆さんも気をつけましょう。ね。痛いし、何よりかなり気持ち悪いです。


そんなことは、まず置いといて、今週のbouncyです。

さて、あまり音楽を聴けてないのですが、思う事があり、その事を書きます。

音楽とは、結局、金なのか?

という事を思うのです。自由だ何だと歌いながらも、どうでも良い事歌っても
売れれば偉いのかと、思った訳です。

ん、、、結局は資本主義の歯車にがっしりはめられて、回るしか無いのかと、
そんなものを、芸術として扱ってよいのかと。音楽自体がコマーシャルなのかと。
売れているものがよいものなのか?本当にそうなのか?
と、思うのです。

よくわからなくなってます。正直。
表現の手段であるはずのものが、お金を生み出すものへと変わっている。
そうしか思えないのです。それは、作る側にも、買う側にも、そうしか思えない。

僕は、自分自身の作品として音楽を作る事があるのだが、創作の際、
その根底にあるものは、音楽とは、世界共通の言語であるという事だ。

僕は18歳でダンスミュージックに出会った。ただひたすら4つ打ちキックが
続く、テクノ。衝撃だった。本当に衝撃だった。
歌詞なんてものは無い。ただ、ひたすら電子音が続く。
それなのに、感じるのだ。体を動かさずにはいられないグルーブを。その曲に
込められた世界観を。
それも、僕だけではない。その場にいる、日本人もインド人もアメリカ人も
オランダ人もドイツ人も。すべてが同じものを感じている。
衝撃だった。言葉は必要ない。音、という原始的なもので、つながる事が出来る。
それが音楽の持つ力なのだ。そう信じている。そしてそれが僕が音楽を作る、また
制作するすべての作品に共通する思想だ。

よく聞く言葉がある。「このミュージシャン、歌詞がいいね」
僕は思う。ならば、そのミュージシャンがミュージシャンとして存在する意味は?
言葉がいいなら、詩集でも出してろ。と思う訳です。
音なのです。音で見せる事が出来なければ、音楽の意味が無い。

そして、そんな音楽が日本では多いのではないかと。思う訳です。
それも、本心の言葉なのか、売るための、体のいい言葉なのか。
売れている方で、そこから抜け出せたミュージシャンもいますがね。
そんな事を思い悩んでいるから、体に変なものが出てくるんだろうな。

ここまで書くとなんだか訳が分かりませんが、
まあ、そんな事を思う、26の夏でした。では

Yasuhiro Chida Presents [ bouncy ]
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