さんきち なぞ図書館

パパラギ



びっくりぎょうてんするような偶然に、ぶっつかるこっとがある。
息をすいすぎて手足がしびれてしまい、
もちろん頭にいく酸素も薄くなり、なあんにも考えられなくなってしまう。


それが過ぎたあとに、ちょっと考える。
その、私にどーんとぶつかってきた「偶然」は、突然登場したわけではないのだ。
とーくのとーくの方から、実はこっちに向かって歩いてきていたのだ。

長い長い時間をかけて。私めざして。



その日、たまたま見た中吊り広告だとか、

先週、酔っ払って言い過ぎたこととか、

先々週、涙のでちゃうおいしい料理たべたことだとか、

先月、やってしまった大失敗だとか・・・



その偶然が起こるまでの道筋を逆にたどってゆくと、
なにもかもが、その偶然に出会う瞬間に向かって
進んでいたんだと気付く。



私の、私だからした、ちょっとしたことづつ、

偶然はわたしに、ぐんぐん近づいていたのだ。



今日、僅差で出せなかった燃えないゴミとかさ、

そんなことも、もしかしたら、今はまだ見えない遠くの遠くの偶然が、

一歩私に近づくための、重要なポイントだったりするかもしれない。

・・・だと、おもしろいな。



ということで、今回もこの本を読んだ後、

ちょっとしたおもしろい偶然があったのでした。



それは、ひとまず置いといて、まずはこの本のご紹介から。



『パパラギ』
ツイアビ著 岡崎照男訳 立風書房 \840




この本には、副題がついていて、それは、

「はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集」

というもの。


まさに、その副題のとおりの本で、


1920年に初版がでているということだから、いまから84年前か。

そのくらいの頃に出版された本なのだけど、


サマワ諸島のウポル島の、

ティアベアという村の酋長の「ツイアビ」さんが、

ヨーロッパの国々を回り、はじめて文明というものに触れ、

先入観のない目でそれを捉え、後に村に戻り、

ポリネシアの人々のために、

自分の見てきたこと、それについて考えたことを、

書いた手記。


それを、エーリッヒ・ショイルマンというというヨーロッパ人(ドイツ人?)が、

一年間その村で生活をともにしたころ、ようやく友として受け入れられ、

酋長が手記の中から断片的に語ってくれるようになったものを、

翻訳し、ヨーロッパに紹介した本なのでございます。

(長かった!意味わかった?)



そしてね、題名の「パパラギ」」というのは、

サモアの言葉で「白人」という意味なのです。



「パパラギとは、いつも体をきちんと布で覆うように心がけている」

・・・とかって、

パパラギってものはね、こういう人々なんだよって、

酋長がポリネシアの人々にわかりやすいように説明しているのです。

そして、それをふまえ、自分たちはどういう道を行くべきかと。



ツイアビの目はとても鋭い。


「酋長ツイアビは、おだやかな親切そうな大男。

背が2メートル以上もあって、がっちりした体つきにもかかわらず、

女のように細いやわらかい声を響かせ、

彼の濃い眉に覆われた大きくて黒い目は、

どこか人を寄せ付けない固いものを持っていたが、

人が話しかけるとその冷たい目をみるみる燃え上がり、

心あたたまる明るい光を放つのだった。

(南太平洋ではよく見かけるタイプ。

おだやかで滑稽なほど荘重で、それでいて人なつっこい、

ごく一般的なサモア人酋長)」


という彼が、冷静で透明な観察力で、パパラギの様々なことを、語ってくれます。


日常生活、職業と職種、行動、金銭と経済、

田舎と都会、近代文明の機械、道具、住宅、服装・・・。



「文明」については、最近といわず、もっと昔から

多くの人々が、色々問題点やらなにやら考えていることだけれど、

そういう、「文明の中にいる人々」が一生懸命論議していることを、

ちょっととっぱらって、



さてとって、「文明の外にいた人」からみた話を、

聞いてみたら、きっと色々驚くことがあるんだろうなあと

思って読んでみたのだけれど・・・


想像していたより驚いた。

驚くだろうとわかっていたけれど、大体予想はしていたのだけどね、

甘かった。


私は、「これは後でじっくり考えてみよう」と思ったりする箇所があると、

そのページの端を折っておく癖があるのだけれど、

この本ばかりはそれをやめたよ。

それやってるときりがないんだもん。

ほぼ全ページになっちゃいそうで。


要するに私にとってこの本は、この本まるごと一冊、

「時間をかけてじっくり考えてみなくっちゃ」という本でした。

ちょっとやそっとで、簡単に解釈して終わらしちゃまずいんじゃないかって本。

これは、しっかり考えてみないといけないな。


それで、読み終わってからもこの本のことばかり反芻して、

ずっと考えていたんだ。


こういう本は、きっと、一ヶ月はそうやってそのまわりをうろちょろして、

でもきっとそんな時期を過ぎても、なにかのときには、

この本に書かれていたことを思い出したりするんだろうなあ。

そういう種類の本だ。


・・・と思っていた矢先、

読み終えて二日目に、半年ぶりくらいのお久しぶりの友人から、

「自然の中で働かない?」という誘いのメールがきたのです。


(あ、ここからが、冒頭で述べた「偶然」の絡みです。)


びっくりしたね。

パパラギを読んでからというもの、

「大自然の中で、体を使って働きたい」とばかり思っていたものだから。


仕事があまりにも忙しくて、

高層ビルにょきにょきの街で朝から晩まで働いて、

へとへとに疲れはてていたのもあって。


しかもさ、それしに行く場所が、富士吉田だってんだから、

さらに驚いた。


それって、一ヶ月くらい前に、

私が高速バスに乗って富士山みにいったところ。

こないだ「富士日記」」のとき、なぞ図書館でも書いたけどさ。

私、あれ、生まれて初めて行ったんだよ。

前日、突然思い立って。

「富士山がみたい!」って。


この「富士吉田プチダッシュ村企画???」のお誘いがきたからじゃなくてね、

ほんとに、前に富士吉田に行ったとき、

いろいろ面白いハプニングが起こって、

地元の人々に親切にしてもらって、

なぜだか自分もすごくらくちんな心持ちでリラックスしていて、


「これは、なんだろう。『はじめて来た気がしない』ではないな。

『はじめて来たけど、また来そう』って、感じだな」


って思っていたんだ。


でも、それは、「いつかまた」って気分だったんだけど、

一ヵ月後だなんて。

しかも、これからちょくちょく行く、

長く深いつきあいになりそうなところになるなんて。


そして、富士吉田で、農家の方に色々教えてもらいながら、

畑を開墾して、なすやら、トウモロコシやら、もち米やら、きゅうりやら、

大根やら、キャベツやら、枝豆やら、植えてきたよ。

でかすぎる富士山をバックにさ。


静かでね、ほっとして、心が健康になるようです。

今度、採れたてのキュウリなんかを、写真に撮って、

載せられたらいいなあ。


ああ、ずいぶん長くなっちゃった。

それでは、また!


あ、「パパラギ」おすすめです。

私は、まだ、ふわふわと反芻中。




なぞ図書館司書 サンキチ


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