さんきち なぞ図書館
七つの人形の恋物語




インディアンのひとたちは、旅をして、

いっぱい歩きすぎると、急にあるところで立ち止まり、

しばらく車座になって、進まなくなるんだそうだ。



ちょっとはやく歩きすぎた。

まだ魂が付いてきていないって。



そして、しばらくひとつところで留まったあと、

さてと、ってまた立ち上がって歩き出す。





それでいったら、私も今回はいっぱい歩いたんだろうな。

立ち止まってしばらく野宿をしなければ。

テントの中にはいりこもうとする自分がみえる。

入り口の布をおろして、

しばらく薄暗い中でひとりで眠りたくなってきたぞ。





なんのことを言っているかというとね、

先月のブリリアントナイツが、

ものすごく楽しかったってことなのです。



来て下さったみなさま、

ほんとうにありがとう。



ああ、あんなに短い期間であんなにいろんな人に会って、

いろんなことをしゃべった一週間はないな。





一月はもともと正月で親戚もたくさん集まったりして、

人とたくさん会う月だけれども、

今年はそのお正月の直後に「カマクラツアー」があり、

そのすぐあとに「ブリリアントナイツ」があり、

その合間に、思いがけない大きな大きな出会いがあったり、

ものすごくあたたかなライブの場にいれたり・・・と、

もりだくさんでした。



なんだかそれが、どれも私にとって「進む」の方向だったから、

おもしろくてたのしくて胸がいっぱいでしあわせだったけど、

頃合いを見計らって、

でかけたがりしゃべりたがりの外向きの私に、

しずかで内向きの私が、

「ねえ、そろそろわたしの出番じゃない?」って言ってきた。



はあ、そうっすか。そうかも。

って、引きこもり気分でいたら、

なんだかすごくしあわせなことになってきました。

どうやら、この、「人と会いまくった一月」のほんとの醍醐味は、

わたしにとっては、「今」のようです。





人と会っていろんなこと話すと、

そのときの、その場の、それとは別に、

あとで、なにか「後味」みたいなのを感じてきます。

「余韻」っていうのかなあ。



その余韻だか後味だかは人それぞれ違っていて、

その人としゃべった話の内容とか、

どんな顔をしてて、

ヒゲは生えてたっけか?とかは忘れちゃったりしてたりしても、(ごめん!)

なにか、その人の持っているある雰囲気だけが、

あとでじわじわと、思い出されてくる。

思い出すっていうかねえ、じわじわ感じられてくる。



その、それぞれの独特の雰囲気に触れたことが、

なんとなく自分の中でちゃんと定着するというか認識すると、

そこでやっと、その人に会ったという気になる。

「ああ、あの人、あんな雰囲気だったなあ。」って。

それがなにやら幸せな感じがするんだなあ。

今回はそれが次から次へと思い出されるから、ますます幸せ。

これがしたくて、これをしなきゃいけないから、

内向きのわたしが声をかけたのか。



これがないと、なんだかバタバタと、

いろんな出来事が、

わたしの上をきれいに通り過ぎていってしまう気がする。



牛が反芻して栄養をとるように、

わたしの人との出会いも牛なみにゆっくりなようです。

この感じわかるかなあ?

おかしなやつかなあ?



そして、ちょっと思ったのは、

もしかして、お正月の宴会とかさ、カマクラつくろうとか、

ブリリアントナイツだ!とか、それって全部、「口実」なんじゃないだろうか。

用事があって、人と話したり、いろいろ教えてもらうのだって、

それもほんとは口実なんじゃないだろうか。



それを口実にして、ほんとの目的は、

人は人の雰囲気に触れたいんじゃないか。

触れ合うために、表面的ないろんなことやってるんじゃないか。

喧嘩とか、恋愛とかもさ。



・・・でも、こんなこと言ったら、だれもちゃんと話してくれなくなるかな。

「これもまた忘れちゃうんでしょ?」なんてね。

ちがうちがう。いつものは単に忘れっぽいだけです。

今後忘れないように努力します。



さて、そうして、ちょっと幸せなひきこもり中のわたしですので、

本もね、しずかで重厚なしっとり暗い感じのが読みたい。

それで、今日はこの本をご紹介します。







「七つの人形の恋物語」 ポールギャリコ著 王国社 1500円






名前だけみると、甘いかな?

ちっとも重厚そうじゃない?



でもこの本は、甘くない。

甘くロマンチックな話ではぜんぜんないのです。

あるひとりの男の、屈折した苦しい心の中のたたかいをかいた本。

おもわず歯を食いしばって読むような本です。





人の中には、いろんな自分がいる。



わたしの中にも、いろんなわたしがいて、

さっき書いたみたいに、簡単なとこでいくと、

外向きの、とか、内向きの、とか。



あとは、そうだなあ。

愛にあふれた、とか、冷酷な、とか、

人懐っこい、とか、人見知りな、とか、

子供とか、大人とか、つよいとか、よわいとか、

姉とか、酔っ払いとか、女とか、動物とか。



自分でもどうなってるかよくわからないそんなんが、

混じり合ってわたしを作っている。

それで、バランスを保っている。



そうだとしたら、

あるひとりの男の中に、

こずるいきつねや、理知的な紳士や、

純真な男の子やらがいたって、

おかしくない。



この物語の主人公は、

自分以外に、七つの人格を持っている男の人なのです。






彼は、屈折した人生をおくってきたひとで、

人生を憎み人を憎み、幸せな人間は、

自分のところまで引きずりおろさないと

気がすまないような人間。



でも、そんな彼の中で、

それとは別の七つの人格が動き出す。













この男がある女性に出会います。



ストリップ小屋を解雇され、

身投げをしようとセーヌ川に向かってとぼとぼと歩いて行く、

やせっぽっちの女の子。



きっと、この女の子が、

この本のほんとうの主人公です。



それがどんな出会いだったか。

どんなことがふたりにおこるのか。



あーあ。

わたしはこの本を読むといっつも涙がたくさんでてしまいます。



人の中の深いもの。

複雑怪奇でなぞなもの。

そこに眠る不滅のもの。

その中にちょっとだけ足を踏み込むような本です。



いま内向きの状態の人には、特におすすめ。

深く、暗く、あたたかな本。



そんでは。

なぞ図書館司書 さんきち

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