第44回 写真を撮りはじめた キッカケ

日曜日に六本木ヒルズに行きました。
お目当ては「草間弥生」というアーティストの展覧会。



ニホンコン、会社員時代は六本木にオフィスがありましたが、
六本木が目覚め、牙をむくのは、たいてい夜です。

ひゃー、昼間の六本木って凄いのですね。
サンサンと太陽が輝いていて、六本木のゴールデンタイムと全く違うのです。

普段お酒ばっか飲んでるダメな大人がトマトジュースでも飲んでいる、
そんな妙〜なサワヤカさがありました。

さて、展示の話に戻るとしますと、一言、「キョーレツでした」
もう、最後のほうなんか目がチカチカして、軽い頭痛さえ覚えるくらい、
光と色と柄が交錯しておりました。

あまり具体的に語ると、これから行く人の想像を欠いてしまうことになるので、
これくらいにしておきますが、印象的だったのが、彼女のプロフィールで
「幼少の頃に受けた強烈な幻覚に触発され・・」というくだりを見つけました。

キョーレツナゲンカク?

ニホンコン、凡人ゆえに、全く理解できず。
幼少の頃、キョーレツなハライタに悩まされたことは多かったけど。

ただ、なにかを作っている人って多かれ少なかれキッカケを持っていると思います。

知り合いのおねいさんは、アメリカのネイティヴアメリカンの人々を
訪れた地のインスピレーションを胸に、絵を書き続けているといいます。

私は、というと。
全然アーティスティックなものではないのですが、
私が写真をはじめたキッカケがありますので、そのお話をすこし・・

それは北京に住んでいた頃にありました。
1年がすぎて、あと半年留学を延長することが決定していた頃。
このまま帰るには中途半端ということで、自ら卒業を引き延ばしていました。

ただ、最初まぶしかった異国ライフと留学生の生活は、もはや日常と化し、
むさぼるように面白いものを探していた頃とはうらはらに、
毎日は 刺激のかけらもなくなっていました。

コトバも日常会話レベルでは問題ないものの、伸び悩みの時期。
中国人と触れあうことに貪欲だったピチピチ留学生だった筈なのに、
ガメつく、気の強く、無秩序な国民性にうんざりし、
ついつい寮の外国人や日本人とたむろしがちになっていく自分。

あの時とても「慣れの怖さ」と、「人間楽なほうに流されやすい」ことを実感。
たった1年で、こうも変わるものか、と。

んで、思ったのですよ。
つまらないのは、「環境がつまらないん」じゃなくて、
「私自身がつまらない人」になったから、何を見てもつまらないって思うんだ、と。

そこでピンと思い付いたのが、「じゃあ写真を撮ろう」と。
いつも住んでいる感覚で見ていたものが、あのちいさなフレームにしか収まらなくなると思えば、
風景も選んで切りとるようになるだろう、というのと

あとは、つまんない自分からの脱出をかけて。

結果、「すごい楽しかった」。
もう、見るもの見るものが新鮮で、あれも撮りたい、これも撮りたいと
毎日重たいカメラを持っては 一人どこかに出かけていました。

それからというもの、安易に群れなくなったし、つまんないと口にすることもなくなった。
劇的な生活の変化が、私には訪れました。

今となっては記念写真でしかないものも、あの時の私にとって、カメラは
私のウツウツとした毎日を救いあげてくれる、大事な友達だったような気がします。



今でもそれは思いますが、さすがに7年も8年もカメラと接していると、
少し欲が出てきたか、自分が撮らなくてはいけない瞬間を探している気がします。

別に誰に頼まれているわけでもないのに、時に
「あああ〜〜、この一瞬は私が残さずして、誰が撮る」
なぞ、本気で思ったりするのが、厄介。だったら毎日カメラ持っとけよ。って。
(大概こういう瞬間は、カメラ不携帯の時に起こります)

ニホンコンは、これからも楽しい毎日と、感動的な一瞬のために
写真を撮り続けます。

皆さんは、何がキッカケで 今何をしていますか?
今度を聞かせて下さい。



2月10日 坂下日本/香港





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