感奮語録



今年の秋に、国際フォーラムで、

「300歳で300分」というイベントが開催されました。



なんで300歳かというと、

講演をする5人の老人たちの歳を全部足すと、

300歳以上になるから。

その老人5人が次から次へと講演をして、

講演時間が合計300分。



だから、「300歳で300分」なんだそうです。



そして、この5人の講演者がすごい。



谷川俊太郎(詩人)・・・71歳

藤田元司(元巨人軍の監督)・・・72歳

詫摩武俊(心理学者)・・・76歳

小野田寛郎(終戦後29年間ジャングルで戦っていた人)・・・81歳

吉本隆明(詩人・文芸評論家)・・・78歳



主催の糸井重里氏曰く・・・



「ぼくは、年上の方から話を聞いては、

元気づけられて生きているもんですから、

それをおすそわけ・・・」



というようなイベントだそうです。



おもしろそうでしょ。



残念ながら私は、このイベントには行けなかったのですが、

イベントを収録したDVDを手に入れたので、

今日はそれをずーっと見ていたのでした。

ふふふふふ。

年末年始って、こういうことができるから幸せ。



で、そのDVDにくっついていたパンフレットをぱらぱら見ていたら、

「吉本隆明に関しての解説」のところで、

こんな文を発見しました。



おもしろかったので、長くなるけど抜粋します↓






遠くに光る灯台 文/中沢新一 宗教学者


吉本隆明は自然体の思想家である。

私が吉本さんの思想から学んだことの中で、一番心に響いているのは、

人間は観念的な思考をするようになると、すぐに自然の状態からはずれてしまい、

へたに頭の働きが活発だったりすると、それだけでもう病気なのだという、

恐ろしい話だった。



観念的な思考はかならず、いったん人間を病気の状態にしてしまう。

そこでほんものの思想家だけが、徹底的に考え抜くことをとおして、

自分がおちいっている病気の状態から脱出しようとするのである、

そして、悪戦苦闘の末にようやく

自分を縛っていた思考のシステムから自由になれたとき、

その人の前にはとてつもなくゆったりとした

「普通」の世界が広がっているのが見えてくる。

そういう「普通」にたどりつくことを最後の目標にしていない思想などは、

どれも病気の産物にすぎないもので、たいしたものではない、

という考え方である。



私は若いときに、吉本さんのこういう考え方を知って衝撃を受けた。

そして、なんとかして自分も病気から抜け出したいと思って、

自分なりの努力をしてきたつもりだった。

しかし、いまの吉本さんを見ていると、

またまた衝撃を受けるというか、深い感動を受けるのである。

吉本さんはほんとうに「普通」にたどりついてしまっている。

そこでリラックスして、自分の老いまで楽しんでいる。

それを見て、自分などはまだまだだなあ、と思う。

いつまでたっても吉本さんは、

私にとって遠くに光る灯台なのだなあ、とも思う。





あ、抜粋しようと思ったのに、全文になっちゃった。

しつれい。



ここで書かれている吉本氏の考えが、

今回紹介する本のコンセプトとすごく似ていたので、

「おお」と思って、抜粋(全文掲載か)してみました。





実は、ちょっと話がずれますが、この、

「観念的な思考は、自然からすぐはずれちゃうし、

ほとんど病気の状態だ。」っていう考え方ってのは、

「本をよむ」ってことともつながっていて、

前からずっと気になっていたことでもありました。



本を読むと、いろんなことが知れるし、

そこをヒントにいろんなことを考えられて、

それはそれは、たのしくしあわせなことなんだけれども、

一方で、頭で考えすぎることの弊害というものも確実にある。



なんにもしていないのに、

なんでもわかったような気になっていたり。

考えすぎてなにをすべきかわからなくなったり。



本や自分の頭の中のことは、あくまで「観念的思考」なんだから、

ほんとうにわかったことにはならない。

それはそれとして、そんなに重要に考えないで、

最も価値があるのは自分の体験してわかったことだ!

頭を過信しすぎちゃいけん。

もっと大事なことはほかにあるぞ!

って、常に思いながら、本を読んだり、

考えたりしなくっちゃなあと思っています。



さて、それで、今回ご紹介するのは、この本。





「感奮語録」 行徳哲男著 1200円 到知出版社



この本の最初には、



「哲学とは頭で学ぶものではなく、

哲学は「する」ものである。

腹に、あるいは体に沁み込ませるものである。」



と書いてあります。






タイトルの「感奮語録」というのも、



「哲学的な語録というのは、小難しく高尚なものではなくて、

その言葉によって、人が心になにかを感じ、

奮い立つようなものであるべきだ!」



っていう意味でつけたんだそうです。



なんだか期待できそうでしょ。



期待通り。

すごく面白かった。





最近よく感じるのは、

かっこわるい人のかっこよさ。

代表例としたら、北の国からのゴローさんみたいな。



この本の作者も、熱くて明るくて元気で、で情に厚い。

ちょっとみ、これが自分のお父さんだったら、

ちょっとはずかしいなあと思わないでもないんだけれど、

(声おおきそうだし)

でもやっぱり、ゴローさん同様、

ものすごく「かっこいい人」でした。



そういや、谷川俊太郎が最近のエッセイで、

いままで「愛」という言葉を使ってたくさんの詩を書き、

「愛」というものを生きる中心においてきたけれど、

日本人には「愛」ではとらえられない感情があって、

それは、もしかして「情」じゃないか。

「愛」より「情」という言葉の方が

ぴったりくるんじゃないか・・・

みたいなことが書いてあったな。



ポイントは「情」かもしれん。



とにかく、情に厚い人は、

どうしたってかっこわるくなるけど、

しかたない、そこがかっこいい。

でもきっとそれは、いまの世の中の処世術としたら、

うまくはないんだろうけど。



・・・また、話がずれてしまった。






で、この本は、

そんなかっこいい作者が紹介する、

いろんな人の言った、

いろんな哲学的な言葉を集めた「語録集」です。



昔のお坊さんから、詩人から、科学者、大統領、

哲学者、職人さん、ラグビー部の監督、将軍・・・・

と、そうそう、坂本竜馬と西郷隆盛もでてきてましたよ。



有名な人も無名な人もいるけれど、

長い時間を経て、残る言葉っていうのは、

なんといっても、それだけの力がある。




ほんとにね、体から力が湧いてくるような本です。


「さてと」って前を向いて、

遠くを見渡すような心持になった。




年のはじめにぴったり。

おすすめいたします。






さて、今日はおおみそか。

あしたはお餅をいっぱい食べられるぞ!




なぞ図書館司書 さんきち


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