智恵子紙絵



前からね、

クリスマスのころになったら、

この本を紹介しようと決めていました。



だって、なんだか、すごくぴったりくる本なのです。

クリスマスに。






「智恵子紙絵」 高村智恵子 ちくま文庫 \1000







この本に出会うまで、

わたしの中で「高村智恵子」は、

「高村光太郎の奥さん」として有名でした。

あの、「智恵子抄」のって。



だから、近所の本屋でこの

「智恵子紙絵」を見かけたときは、

「ふーん。智恵子って、紙絵つくったりしてたんだあ。どれどれ。」

という軽い気持ちで手に取ったのでした。



ところが、ぱらぱらとめくってみてたら、

「え?なんだこれ。」ってびっくりして、

手がとまりました。



そこに載ってた紙絵のデキが、

どれもこれも、ちょっと想像を超えていたので。



うまく言えないけれど、

天才の人の作品にみられるような、

「ある一線を超えている感」。

それをこの紙絵に感じたのでした。



ある、既存のなにかから、

トーンと突き抜けているというか。



自由に、なににもとらわれないで、

たったひとりの、その人だけの持つなにかが、

バンっとあらわれているような。



とにかく、トンデルな。

なんだか、ものすごいぞ、これ。

と感じたのです。





そうして、その紙絵につられて買って帰った本には、

智恵子の紙絵と、智恵子の詩以外に、
ふたりの人の文章が載っていました。


夫、高村光太郎のと、

智恵子の看病をした、めいごさんのと。



それを読んで、この紙絵が、

智恵子が精神病をわずらって入院している病室で、

光太郎のためだけにつくったものだということを知りました。



智恵子は、光太郎以外の人、

めいごさんなどが紙絵をのぞくと怒るのです。



そして、光太郎が面会にきたときだけ、

押入れにしまっておいた包みを大切そうにあけて、紙絵をみせて、

ほめられたら、何度も何度もおじぎをして、

はずかしそうにうれしそうに笑ったそうです。







光太郎の「智恵子の半生」という文には、

智恵子が精神を病む前、油絵に全生命を捧げ、

結果、自分の才能に絶望し、服毒自殺を図り、

未遂でおわったことなどがかかれていました。



全然知らなかった。



そうして、病室で光太郎は、

智恵子の紙絵をみて、息をのむ。



このひとの才能は、油絵ではなく、

紙絵で開花したのだと感じたのだそうです。



この本を読んで、ああ、この本は、

あの「智恵子抄」と対(ツイ)なんだ。

と思いました。

「智恵子抄」が、光太郎からの「智恵子への想い」だとしたら、

この「智恵子紙絵」は、智恵子からの「光太郎への想い」なんじゃないかな。



その智恵子の想いは、言葉ではなくて、

すべて、包装紙やらを切ってつくった、

ちいさな「紙絵」に込められている。



紙絵のモチーフ自体は、

日常にそこらにころがっているもの・・・、

スプーンとか、くだものとか、皿とか、口紅とかなんだけれど、

あの紙絵からでてくるパワー、輝きみたいなものは、きっと、

そういったところからくるんだろうなあと思いました。



壮絶で、ものすごく不幸な話のようだけれども、

これ読むとねえ、全然印象がちがうんだよ。



なにか、この世に登場した純粋できれいな魂に、

触れることができたような気持ちになる。



だから、クリスマスにぴったりなんだって。

ほんとに!

「純粋できれいな愛の本」なんだから!



なぞ図書館司書 さんきち


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