(人は成長過程において、ある土地で経験することが、
その人の人格や行動に大きく影響する、と思う。
サカシタニホンコンを形成している大部分に、北京留学を「選択」したことが
大きく大きく関わっていると思います。
20歳から25歳という多感、いや多汗ともいえる時期を、
赤と共産主義の中国、香港で過ごしたというのだから。
そりゃ、何もなかったワケがないのですね。
それが、また、凄まじかったのです。
今日は、北京に留学したという選択と、それを選択したことによって、
経験「せざるを得なかった」ことを紹介します。
北京に留学して、3ヶ月もたったある日、「夏休みの短期留学を受け入れる為、
寮をあけなくてはいけません、みなさん自国に帰国されるか、
2ヶ月半旅行して、8月末にまたこの大学に戻ってきて下さい」
と。
信じられるか?これ。
若干3ヶ月しか勉強していない外国人を、いきなり帰れだの、
ユーラシア大陸の広大な土地に放り出そうとするのだよ。
とはいうものの、さっさと荷物を段ボールにつめて預けないと、
寮の倉庫がいっぱいになり、荷物すら預かってもらえなくなるという、
最悪の事態も予測されるため、留学生たちは、逆らうことすらできず、
(要は逆らってもムダなので)黙々と荷造りをしました。
ここからが大変。私の旅の始まりです。
電車に4日間もゆられて、ウイグル人に会いにいき。
(その時のトイレといったら、すごい。臭い!と思う前に目がつぶれるほど痛くなるんだから)
夏の暑い中、3週間もフロなしで、中国人家庭にホームステイしたり。
(乙女が自分の体臭で目がさめるなんて、後にも先にございません)
窓から飛び乗る13億の人民に負けず、人々を押しのけ、踏んづけ
(踏んづけないと、踏んづけられるので)割り込んだり。
内モンゴルにて、一緒にいった友人が急性アルコール中毒で生死をさまよい、
拙い中国語にてヘルプを求めたり。(
あの時運ばれたキッタナイ町の病院で、友人点滴を打たされました、
見てるこちらが『この汚い針でエイズになっても、死ぬよかマシと思え』と祈ったほど)
雲南省の4人部屋ドミトリー、私以外全員男という部屋割り。
(さすがに朝5時までしゃべり倒して寝れなかった)
次の日には旅行会社で電車のチケットを負けろと粘ったところ
「2時間中国人のお金持ちにあうバイトをしてほしい」と、遠回しな売春の斡旋話が来て、焦る。
こんなもんじゃないんです。
多分この10倍は軽くあるはず。
多分、この中国での経験で、サカシタニホンコンは妙に我慢強くもなり、
自分の身は自分で守るようになり、
エキサイティングなものばかりを追い求める傾向ができあがってしまった。
そしてこの留学から数年後、インドで3ヶ月も放浪し、
同じような目にあったのは、やはり中国大陸ですりこまれた血がそうさせたと 思う。
この話はまた今度。
5月20日 サカシタニホンコン